虫を食べる [雑記]
先日目にした新聞に、最近昆虫食が見直しされている事を知った。アフリカなどでは貴重なタンパク源なので虫を食すことは知っていたけれど、最近は 食べさす店、ネット通販もあるそうな。
池袋から東京の西の果てに疎開して、勝手の違う田舎暮らしが始まった。
それこそ箸より重いものを持ったことない自尊心の強い絵本のお話や 編集をしていたうるさ型の父親は、ハンサムで洒落者。 夏はパナマ帽に麻の白いスーツが細身の身体に合っていた。
麻はしわになりやすいので母が常にアイロン掛けしていた。
そのような父でもお風呂に使う薪を割らなければならずよく薪割りをしていた。
「オイ!また出てきたぞ!」父の声に私たち弟妹は父のそばに行くと割った木の間にそれは蠢いていた。白いウジ虫のようなコロコロした虫。私たちはそれをフライパンで煎ってちょこっとお醤油をジュッと垂らすと香ばしい香り。
口に入れると 久し振りにバター の味わいだった。 なんと言う虫だったのか?
田んぼではイナゴ取りに夢中、 獲ったイナゴは牛乳の空き瓶にいれて 糞を出し佃煮の様に甘辛い味で食べた。
香ばしく気持ち悪さも感じなかった。
田んぼではタニシもとって茹でて酢味噌につけて食べた。
終戦直後の食糧難の時代、田んぼの 畔の野草も食べられるものはなんでも食べた。農薬なんか無い時代イナゴもタニシも沢山いた。 今農薬を使っているので畑も田んぼも蛍は勿論虫達の姿を見ない。
私たち、よく死ななかったと思うし、それらを食べて死んだと言う話も聞いたことがなかった。
ホタルなんか竹箒で空中をひとはきすれば数匹取れて、蚊帳の中に入れて寝る時に楽しんだものだ。翌朝になると黒く変色した蛍が転がっていて金臭い匂いがした。
気候変動、地球温暖化で洪水、干ばつの被害が起きているのを見るに付け、そう遠くない時期に食糧難時代がくるのではないか。
お金さえ出せばなんでも食べられる飽食の時代がいつまで続くやら。食べ過ぎて太りジッパーが上がらないなんて、バカみたい。過酷な未来が待っているのに。 と言っても今、虫達を食べろと言われても気持ち悪くて食べられないかもしれない。
長野県の名物に蜂の子も有って好物だと言う人を知っている。スズメバチをギッチリ漬けた焼酎を飲んだ事もあるけれど。
鶏とネズミと蛾以外はいざとなったら食べられるかも知れない。 でもやっぱり虫はね〜?