行こうと思っていたのでやっと [絵画]
プラド美術館展 [絵画]
観ることが出来ました [絵画]
丸木美術館 [絵画]
台風9号が通過翌日、以前から行きたいと思いながらなかなか行けなかった「原爆の図 丸木美術館」に行きました。 展示物の写真はカメラ禁止と聞きましたが、その様な断りも目にしないし、入場者も4,5人なので、多分シャッターを切る人も中には居たでしょう。 私の下手な説明文より興味のある方は赤文字をクリックしてください。
道中大きな案内看板もなく、美術館に続く細い道は、前日の台風の影響で木の枝が道に覆いかぶさっていました。大きな実を付けた栗の木がまだ青いまま真二つに割れて倒れて居たり、背の高い皇帝ダリアも花は無かったもののすっかり倒れて居ました。
夏は9時開館で私達は真っ先に入館しましたが、建物が古いので雨漏りのためスタッフがバケツやモップを持って大童でした。
階段の上り口に団扇が数本壺に挿して有り、お帰りにはお返しくださいと有ります。
これは冷房は無いな、と暑がりの私は直ぐ思いました。 案の定、展示室の隅で扇風機が首を振って居ました。
階段に昇降機が有るのを見ましたが、足腰の悪い人はきついでしょう。私も階段を上がれるうちに来てよかった、と思ったところです。建物自体が古いので全館空調設備など出来ないのでしょうね。
大きな作品群は空調もなく柵もなく、手で触れるような所に有り、貴重な作品がよく今まで無事で居る事が不思議です。原爆投下後3日目に広島へ赴き、数えきれない程の悲惨な遺体や光景を目にしたスケッチから生まれた壮大な絵に脅威を感じました。
ご夫婦は実に30年以上の歳月をかけて全15部の原爆の図を完成させました。15部の「長崎」は長崎原爆資料館に有ります。
反戦を謳うこのような作品に反感を抱いている輩が少なくともいるであろう現在、貴重な作品の無事を祈らずにはいられませんでした。
和紙に水墨なので油と違って作品自体は強いのでしょう。それにしても、このような作品群が中央の美術館に常設され、もっとみんなの眼に触れれば、等と思いました。
丸木夫妻のお住まいだったそうで今はご遺族がいらして、イベントの時に利用さするそうです。
アトリエの向かいは都幾川で前日の台風ですっかり 河原の草が倒れて遠くシラサギが見えました。
行きたい、行きたいと思って居た所、遅ればせながらやっと実現しました。
ウフィッツ美術館展 [絵画]
第3水曜日は東京都美術館はシルバーデ-、と言うことで65才以上は無料になります。
混雑が予想されるので、7時半の電車で通勤ラッシュの中一人で出掛けました。 上野に9時5分前に着き、美術館前に行くと既に多くの人が並んでいます。 9時20分の開門まで日陰での行列は寒かったです。
例の如く、年齢を証明する物を提示して、ゾロゾロ高齢者の入場です。タダなら利用しない手はないとばかり、自分もその中の一人ですがここで見るだけでも年寄りの多いこと!!
帰りもこの通り入場を待つ人が。
もう、仕舞うところがないし、道中重いし図録は買わない 、と決めていたのに先日の菱田春草の展覧会と同じように図録バッグと共に買ってしまいました。
私が娘夫婦と大名旅行でイタリアへ連れて行って貰って、かれこれ 17年経ちます。ヘミングウエイやアンデルセンが泊まった由緒あるホテルに宿泊し、観光は個人ガイドの高級車で廻りました。
今回の、ウフィッツ美術館ものんびり見られました。今はどうか知りませんがロープも張って無くて自由に写真も撮れましたよ。
右はウルビーノのビーナス( ティツアーノ)
ミケランジェロ唯一のテンペラ作品「ドンド ドーニ」と ラファエロの肖像画」
そのほか沢山撮ってきましたよ。
美術館で買った日本語版図録。
バチカンもウフィッツも1点1点じっくり観ていたら、3,4日はかかりそうです。
もう叶わないでしょうが、もう一度バチカン美術館とウフィッツ美術館は行ってみたいですね。
因みに、オフィスの語源は「メディチ家の仕事場」 ウフィッツから来ているそうです。アルバムに挟んであった私のメモに
ボッティッチェリは「小さな樽」という意味で彼の兄が太っていたので弟に着いたあだ名だそうです。
水墨画展覧会 [絵画]
友人と水墨画の展覧会を観に、銀座へ行って来ました。
小柄な森川翆水先生とお会いするのは凡そ3年ぶりくらいでしょうか。
先生は篆刻もなさるので、私も落款を作って頂きました。
体調を崩された、と言うお噂は聴いていましたが、精力的な制作活動をなさっていて、作品からも力が溢れて居ました。
名古屋で肺の手術をなさって3か月も滞在していらしたそうです。
審査員だった先生は、友人と私が所属していた〇〇水墨画協会を私達より先に、退会されていましたので、昨日、理由をお聞きしましたが、縛られずご自分の好きなように描きたかったから、と仰っていました。
舞踊、お花、書、絵画等々、流派も沢山ありますが、それらの上層部での裏事情は末端の我々には分からない色々複雑な事情が有るようです。
水墨画も、墨色が極めて薄い流派や思いきり濃い流派、基本に囚われない団体等ありますが、先生の所のお弟子さんたちは、自由奔放に描くのを楽しんでいるように見えます。
ただ一点、余白を残す基本は抑えて居るように見受けられました。。
余白を残すと言う事、なかなか出来ないんですよね。
観る人によっては、未完成ではないか?と思われたりします。
チマチマ描いていると、つい、描きすぎてしまい気が付くと余白が無くなってしまうんですよね。
展覧会に行くと、刺激されて、このように描きたいという気持ちが湧いてきますが、元来のグズなのでいつも自分の事は棚に上げて、批評ばかりになってしまいます。
遅い食事を東京駅地下街の「黒塀横丁」奈可嶋で。
呑兵衛な私達、アルコールなしの食事なんて、昼間も夜も関係ありません。
焼酎のロックを3杯づつ。
お隣のテーブルのおじさん達(私達より若い)が目を丸くして「この焼酎の方がおいしいよ」と言うので、もう一杯づつ。
3時間もおしゃべりして、してしまいました。
彼女と展覧会に行くと、「観る」より「飲む」のが優先の様になってしまいます。「誰々さんは、急に歩けなくなったみたい」
「こうして、電車に乗って、出かけられて飲んだり食べたり出来るんだから私達幸せよね。そのうちに出来なくなるんだから、出来るうちよね」なんて、都合の良いことを言い合って再会を約束しました。
十分に余白を残した先生の絵
● 下書きでは行間を、空けて書いていますが、保存すると、いつもビッチリと隙間なく行間が無くなってしまいます。
とっても読みにくいので、どうすれば行の間隔を空ける事が出来るのでしょうか?
下書き通りになるときも有るのですが、何方か教えてください。
お願いします。
水墨画 (描く意欲が無くなって・・・) [絵画]
「押し入れに有る絵は誰か欲しい人に上げたら?」
「○○君も○○ちゃんも(私の子供)貰ってくれなかったら捨てられちゃうんだから」
先日の亭主の言葉だ。誰がこんな絵を欲しいか、だ。
3点ほど、お医者さんに差し上げたけど、100号、50号となると余程の大きな部屋でなければ飾れない。
押し入れに入らない物は箪笥の上に積んである。
そう言えば、油絵をやる知人も大きなキャンバスを何枚も丸めて階段の壁に釣り下げていたっけ。
結局、趣味の域を出なかった絵は、今となっては身辺整理の邪魔者になってしまったのだ。
余りにも可愛いそう可哀そうなので、デジプックのCDにして棚に収めた。
でも、私が居なくなっても誰もそんな物見てくれないだろうなぁ?
まだまだ数点有るけれど、恥を忍んでアップしてみる。
展覧会に出品するとなると、結構お金がかかるんだぁ。
もう、優雅に絵なんか描いている場合じゃないし、売れない絵をこれ以上増やしたくないし、制作意欲も湧かないので今のところ止めている。
なんて、調子の良いこと言って居るけれど元来怠け者なのかも知れない。
ダナエ [絵画]
季節外れの台風の影響で、朝から強い雨。風が出ては危険なので鉢や竿を安全な状態にしておきました。 この大雨の中、相変わらず洗濯物を出しっ放しのお宅が有って、かえって汚れるのになァ なんて気になります。ま、そんな余計な心配は要らぬお世話ですよね。
さて、私はこのところ吉田修一の作品を立て続けに読んで居ましたが、今回は、随分前に読んだ藤原伊織の江戸川乱歩賞受賞作品の作品「テロリストのパラソル」に続いて「雪が降る」などを読みました。
今「ダナエ」を読んでいる途中です。恥ずかしながら作品名の「ダナエ」はギリシャ神話中のヒロイン、アルゴス王女の名前だと言う事を知りませんでした。
そうして、レンブラントが「ダナエ」と言う絵を描いていることも・・・。
この絵はエルミタージュ美術館で、精神状態がおかしいリトアニア人がキャンバスをナイフで引き裂き、硫酸をかけたと言う絵で、修復は不可能と思われて居たけれど12年の歳月をかけて修復されました。
ソ連時代の事件なので、公には伏せられ事実が多かったそうですが現在はエルミタージュ美術館に展示されているそうです。
少し前にロシアに行き、エルミタージュ美術館にも行ったのに、この絵とその事件を知っていたら何は何でも見ていたのに、ととっても残念です。
知らないということはみすみす、目の前で本物を見るチャンスを逃したということです。そう言う事って沢山あります。バチカンのサンピエトロ広場のペテロの像も見逃しました!!
藤原伊織のこの「ダナエ」は1985年にエルミタージュ美術館で起きたレンブラントの名画「ダナエ」事件をヒントに書かれたらしいです。
残念ながら、平成15年5月に食道がんで逝去されました。
藤田嗣治と猫 [絵画]
随分前に、青山ブックセンターで衝動買いした本。藤田嗣治の画文集「猫の本」
藤田嗣治と言えばん「猫」と乳白色の肌の裸婦に戦争画。敗戦になって戦争画がアメリカに移送される事になって、戦争画の説明の為にGHQ(連合軍総司令部)の嘱託になる。
単身留学のパリでピカソ、ルソー、モリディアニ等と親交が有り現地の女性と結婚、離別、女性遍歴。その風貌からもちょっと風変わりな人、と言う印象。
詩人のジャンコクトーと
「パリの昼と夜」で書いている。夜遅く盛り場の石畳を歩いての帰り道、足に絡みついてくる猫を不憫に思って連れ帰ったのが1匹、2匹と増えて猫の魅力に憑りつかれたとの事。
アルゼンチンやペルーメキシコなどに行ったり、その絵からは想像できない自由奔放な生き方。君代夫人とフランスの大聖堂で洗礼を受けてレオナールと改名。レオナール・藤田は81歳でチューリッヒの病院で死去。
とっても魅力ある本です。残念ながらぽん太に似ているニャンコは描かれていないけど、時々取り出して眺めている本です。
興味のある方はどうぞ!!
発行所 株式会社 講談社 定価 3000円
残念 平山郁夫再び [絵画]
昨日の暖かさが一転して、今日の寒さ。いよいよ冬将軍がお出ましになるとか。
年賀状を印刷しようとしたら、コピー機が調子悪くて悪戦苦闘でやっと何とか使えそう。随分前に購入したエプソンA-850。
今は、小型で使い安い物が出ていますね。私なんか滅多に使わないので壊れるまで使うつもり。
のこと***お笑いが席巻している昨今のTV界、ドラマ、バラエティー等は殆ど見ません。日曜日に外出しない限り必ず見ているのが午前9時からテレビ朝日の「題名の無い音楽会」か教育TVの「日曜美術館」同じ時間帯なのでどちらにするか迷います。
今日は音楽の方はさだまさしなのであんまり・・・。 なので美術館を見ました。先日亡くなられた平山郁夫画伯を忍んでの再放送でした。「情熱のシルクロード巨匠の祈り」を見て、本当にお亡くなりになったことが残念でなりません。
シルクロードの取材旅行する事112回、そのほかの旅も入れると130余りにも上るそうです。
昨日のNHK、アーカイブでも戦禍のサラエボへの取材旅行で、廃墟になった所でご自身の原爆体験と重なったのでしょうか涙ぐむ姿を見て胸がつまりました。まだまだ夢は果たせなかったと思い残念で使用がありません。
仰っていた「絵は美しくなくてはいけない」その言葉が重いです。その言葉通り生々しい血みどろの絵では無い「広島生変図」。
**********昨日のぽん太**********