イラネッチケー [雑記]
猛暑日が続きます。
どっこへも出掛けられません。 でも先ほど意を決して1500歩の所にあるクリニックに行って来ました。
マスクしてこの猛暑の中では武漢ウイルスより熱中症が怖いです。
ところでNHKの受信料のことで争った裁判で今迄視聴者側が負けていましたが、7月2日に一審ですが初めてNHKが負けましたね。
NHKが映らないTV「イラネッチケー」と言う秘密兵器を開発したのは、筑波大学准教授の某氏。
なぜその様なものを開発したかと言うと、国会中継の報道の仕方が偏っていたからだと言う。とても公共放送とは言えないということ。やらせや意図的な偏向報道が多く発生している。
私も以前からそう思っている人間。
このイラネッチケーって5800円くらいで売っているそう。 取り外しができてはダメだし、素人では外せない工事をしてもらっても元に戻すことが出来てはダメ。
ならば、外から触れられぬ様にTVの中に埋め込み樹脂などで固めてガチガチにし、外そうとしたらTVが壊れる様に加工したとか。 NHKも実験したり大手の弁護士事務所に依頼したそうで、 そこは金に糸目は付けないNHK 、徹底的に調べたんでしょうね。とうとう諦めて裁判で勝ったという事。 NHKが見られないTVなのに強制的に徴収されるなんてどう考えてもおかしいでしょうに。
5世帯に1世帯が受信料未払いだってよ。
誰かさんがみかじめ料だと言っていたけれどその通りだと思う。 受信料収入が5年連続7千億円超とは!
クッダライ番組を作りたい放題、間違った報道もしたい放題、我々から強引に取り立てているお金からやっているんだからね。これが公共放送という名のもとで堂々とまかり通っていることが許せない。
職員はすごい高給取りだと言う。 私はBSのワールドニュースと日曜美術館くらいしか観ないしね。だから別にNHK映らなくてもいいの。
別にNHKが観られなくてもAmazon のfiretvstickでNetTV、海外ドラマも、海外映画もドキュメンタリーも見放題だからね。
強制的に取られている受信料も悔しいけれど、NHKの根性が憎たらしいわよ。
一度解体して民放と同じ様に広告取ってやればもっと真剣さが出てまともな番組が作れるのかもね。
だって汗水たらさなくても黙ってても湯水の如く収入があるんだからね。
芸なんて何もないお笑い芸人とやらを大量に使って、民放並みの番組なんか見たくもない。
正直 私もイラネッチケー付けたいな〜。TVから絶対取れない強力な奴を。
暑さで日頃の腹立ちを言いましたがNHK大好きな人には御免なさい。
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飲んだ焼酎。左上のビンがいいでしょ。奄美に生き、奄美を描いた画家田中一村の絵のラベル。
あ もう一本あったよ。 これでは痩せませんね
トルコ8日間 [旅行]
2005年、もう15年も前になってしまうけれど古い写真を見ると昨日のことの様に思います。
まだ70歳前で旅行して1年経つとまた何処かへ行きたくてウズウズしていたものです。
成田からタシケントで乗り換えてイスタンブールへ。
バスでエーゲ海岸の町アイワルク、エフェソス、コンヤ、パムッカレ、カッパドキアと周り、寝台車アンカラエキスプレスでイスタンブールへ、そして帰国、の8日間でした。
トルコ世界遺産アヤソフィアを観る。ブルーモスクとも言いますね。ギリシャ正教の総本山。最近再びイスラム教の礼拝所モスクになり欧米各国はモスク化に懸念を示しているとか。 私が行った時は聖母子像のモザイク画など見ることが出来たし、赤地に模様があるカーペットが敷き詰められていたけれど、エルドアン大統領の好きな青色のカーペットに変えられたとの事。
何故トルコに行きたかったのか? カッパドキアの奇石を見てみたい、それと上野の美術館で観たトプカプ宮殿展かトルコ展の素晴らしさに魅了されて。
オスマン帝国の権力と贅の象徴トプカプ宮殿は本当に必見です。
カッパドキアの奇石。
洞窟レストランで壺焼き料理。
トロイの遺跡(レプリカ) ドイツの豪商シュリーマンが発掘した栄枯盛衰を物語る遺跡を見学。
古代都市エフェソス円形劇場の遺跡を見て一路白い石灰岩で有名なパムッカレへ。石灰棚に温泉が沸き裸足になって流れる温泉に足を浸しました。
雪ではありません。綿の産地だったのでパムッカレ (綿の城)と呼ばれているそうです。
アジアとヨーロッパの境界線ボスボラス海峡をクルーズ。ガタラ橋の上で沢山の人達が釣りを楽しんでいました。
アガサクリスティ、オリエント急行に出てくる駅。
レストランになっていてここで食事をしました。
トルコのお土産と言えばナザール・ボンジュウですね。バスは勿論レストラン至る所に大小のナザール・ボンジュウが壁や柱に掛かっています。 トルコに古くから伝わるお守りで魔を祓う、人の念を寄せ付けない、身代わりになるなどのご利益があるとか。アラビア語で「目」の意味、ボンジュウはトルコ語で「ガラス玉」の意味だそうです。
直径30センチ位の大きな目玉を見ました。
ず〜〜っと柱にかけているので金属部分が錆びてきた。この目玉に守られていると言う実感は今のところありませんが。
写真の整理をして記憶を辿りながらなので、トルコ編はこれにてお終いにします。
ありがとうございました。
パイナップルのヘタ [植物]
昔の写真は一休み。
連日の猛暑、毎日「暑い 痛い」の連発です。
かれこれ3年くらい前になるかしら? 亭主が買ってきたパイナップルを食べた後、葉っぱが付いているヘタを鉢に植えました。
寒い時期は部屋に入れ、気温が上がれば外に出したりするくらいで、たいした面倒も
顧みなかったのです。
それでもちゃんと根付いて、針の様な鋭い葉っぱが出てきてウッカリ刺さると痛いので葉先をちょっと切ってげました。 たまに覗いても全然変わった様子はないし、邪魔だから処分しようかなぁと何度思ったことやら。
でもまだ生きているし可哀想と思い、最近までの雨続きでも雨に当たらない様にベランダに出していました。
先日 どうなっているかしら?と覗いてみると健気に赤い花の様なものが顔をのぞかせているではありませんか。
ヘタは捨てずにクラウン挿しと言う方法で面倒を見てあげると食べられる実がなるそうです。
私はちゃんとした予備知識がないままでしたが、これからどのように成長するのか楽しみです。
ヘタは捨てずにネット検索して試してみてね。
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三年前にまけてもらって1万円で買った急須、割れてしまいました。
1ヶ月ほど前に落として柄が取れて接着剤で直して使っていたけれど、お茶を入れていたら柄が取れて本体が落ちてこの有り様。
どんなに暑くても急須で入れた熱くて美味しいお茶を飲んでいる身では、お茶の無い日常は考えられません。
なので、食器棚の奥に捨てずにしまって置いた以前使っていたものを再び出しました。 新しいのを買わなくちゃ、でもバスも電車も乗らず6ヶ月も出かけないからいつになるやら。
この暑さではマスク付けての外出は、武漢ウイルスより熱中症の方が怖い。
セントルイスからサンフランシスコ [旅行]
Gateway to the West アメリカ西部開拓史上に残るルイス・クラーク探検隊の出発地点に近い所。
このゲートウェイ・アーチは高さ192mでアーチの中を観覧車のゴンドラに似たトラムで展望台まで行って帰ってこられる。
アーチの地下は西部開拓博物館になっていて、写真、農機具やバイソンの剥製などが陳列されている。
私が行った当時はバックに木々しかないけれど、現在はダウンタウンのビル街をバックの写真を目にする。
アーチ上から見たセントルイス球場。 バドワイザービールのオーナーAnheuser Busch三代目の持ち物(現在はスポンサー)とか。ブッシュスタジアムとも言うらしい。
バドワイザーの工場を見学しました。入り口にはコマーシャルに使われた馬達が迎えてくれ、現在はどうか知りませんがビールは無料で飲み放題でした。
見渡す限りの葡萄畑を進み、カリフォルニアのナパバレーワイナリーに行きました。 ワイン貯蔵所を見てピクニック気分でチーズやアーティチョクなどを芝生に座って食べました。
広大な敷地にホテルもあり,くまなく見学するには4日はかかるらしいです。
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サンフランシスコでは、 姪の友人のロバートさんの車でゴールデンゲイトブリッジに行きました。
橋に使われている一本のワイヤーの断面です。
連邦刑務所として使用されていたアルカトラズ島。いろいろな映画もありましたね。
今は観光客に公開されてフェリーで島に渡る事ができるそうです。
ヨセミテに行きたかったけれどロバートさんの都合がつかず断念しました。もう二度と行く事はないでしょうが良い思い出になりました。
紙の写真から自己流でiPadに移すので少しだけのアップです。
ミズリー州 セントルイス [旅行]
昔の紙の写真を整理しています。
1995年6月21日25年前になりますね。わたし57歳で若かった。悪性リンパ腫で亡くなった妹と姪の3人の珍道中でミズリー州のセントルイスに行きました。
セントルイスは高校で日本語教師をしている姪がいるので思い切って行くことに決めたのです。
当日、函館空港で全日空のハイジャック事件があり、成田発857便13時55分が18時30分となってしまったのです。
ロスでTWA(トランスワールド)に乗り換えるのに(2001年にアメリカン航空に吸収)四苦八苦正でした。まさに冷や汗もの。
そんなに大きな空港ではないので、今の様に日本人は見当たらず、片言で必死でした。
やっと搭乗したら姪の席に自分の席だと言う男性が来て、座席チケットを見せて無事に一段落。
この時ばかりはもっとペラペラと喋れれば、と痛切に感じました。
言葉が出来きればビクつかずにすみますよね。
辿り着いたセントルイス・ランバート国際空港、旧称ランバート・セントルイス国際航空。 姪が迎えに来ていてホッとしました。
飛行機が大幅に遅れたため姪のホームステイ先には翌日行く事にしてホテルへ、ビールを買う為スーパーによると子供と間違われ、ここでまた四苦八苦。
昔、アメリカの高校生に同じ高校生なのに小学校5年生と言われました。
ホテルに着いて妹と飲んだバドワイザーの美味しかった事♩♩♬
姪の高校生の教え子と。
大人の生徒と。初めて来客がると家の中のツアーをするんですね。バスルーム、ベッドルームなど見せてくれます。 ウチなんかツーアーどころじゃありませんよ。二歩進めば行き止まり。
姪のホームステイ先のモニカのご実家にお呼ばれされてお母様のフランス料理フルコースをいいただきました。 室内に流れるアマリアロドリゲスのファドの名曲 私が知っていたのでそれを言うとすごく喜んでくださいました。 そのお母様も数年前に亡くなられたとか。
広い芝生にリスが遊びタイサンボクの大きな白い花が咲いていました。
写真の整理で記憶が鮮明に蘇ります。
行っておいて良かったバリ島 [旅行]
ウルワットゥ寺院で猿にメガネを取られて、無事に取り戻して貰ったのでにケチャダンスを見ることが出来ました。
裸の男性たちが「チャッ チャッ」と声を上げながら円になって踊る大迫力のあるダンスは、ストーリーがあります。 インド古代叙事詩「ラーマナヤ物語」の一部を基にしたストーリーで正面の割門から男たちが出てきます。 物語の概要のプリントが配られるので十分理解出来ます。
バリ島寺院はバリヒンデゥ教の為、露出したタンクトップやショートパンツでは入れないのでサロンと言われる布を腰に巻きます。持ってない場合は入り口で借りることができます。
タナロット寺院の五千人の男のケチャダンス。 これは次に行った時に観た海に浮かぶタナロット寺院です。
次から次へと湧いて出てくる裸の男達のケチャダンスは壮観でした。 夜になると皆、松明ををを片手に踊ります。
インド洋に太陽が沈む、感動的な瞬間です。 地元の若者が泳ぐ姿も絵の様です。
アグン山 3014メートル。 私が行った時は静かでしたが2018年、2019年と噴火して空港が閉鎖されたことがあったそうです。
アグン山の麓にあるのがバリ.ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院。
何処かで必ずと言って良いほどお祭りがあり、日に3回も御供物のチャナンを家々の至る所に捧げる。
チャナンはココナッツの葉で手編みした小さなお皿で色取り取りの花やお米を乗せる。
車や道路などその辺にいっぱい散らかって野良犬が食べたりしている。
市場にゆくとチャナンも売っているし南国の果物、花が満載。
信心深い事は良い事だろうが、とにかくお祭り好き。 車で巡ると、若者が木陰でたむろしているのをよく見かける。 暑いから仕事にならないのか? 聞くところによるとバリの男は優しいけれど怠け者が多いとか。
海に行けば小金を持った女子をジゴロが狙って居る。そんなの目の当たりにしましたよ。
夢夢女子の一人旅はお気をつけ遊ばせですね。 赤道超えのバリ島、暑いの苦手ですが4回も行って良かったです。 マスクつけてあの暑さじゃ死んじゃう〜。
たくさんありすぎなので、ここまで。
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毎日毎日雨続きで嫌になります。 でも好天ならば外出したくてウズウズしている人は一斉に出てゆくでしょうね。 梅雨明けも8月になりそうとか。
メガネを取られる ウルワツ寺院 [旅行]
2002年 猿にメガネを取られる。
私は4回バリ島に行っている。 最初に行った時、島の最南端のウルワツ寺院で猿にメガネを取られた。 帽子やバッグを取られるので気を付けて、と言われていたのにほんのちょっとした隙にパッと取られた。
インド洋に沈む太陽の素晴らしいこと、寺院内のオープンステージで観るケチャダンスが有名だ。
日没から始まるケチャダンスをメガネなしでは見ることができない。
途方にくれていると現地の男性が取ってきてくれると言う。
断崖絶壁を降りて取ってきてくれ
た。白くみえるのが取りに行く人。
取ってきた中には帽子やら数点のサングラスなど、私のメガネも無傷であった〜! お代は50万ルピア(日本円で約4000円) 今は バリ島の物価も上がっているらしい。
娘が現地ヌサドアで雇っていた庭師と家政婦の給料が7〜8千円だったので良い収入でしょう。 しかしあの絶壁は命がけだが。
ところがこの猿たちと人間が結託してやっている金稼ぎだと分かった。 最近では猿が餌付けされてあまり見かけなくなったと言うが、それでもサルはちらほらいるらしい。
メガネを拾ってきてもらったお陰でケチャダンスを見ることが出来て良かった。
インド洋
まだまだ武漢肺炎ウイルス感染者は後を断ちませんね。
騒動勃発から電車バスに乗っていません。 昨日は白内障を遅らせる目薬を貰いに、次に3ヶ月に一度の歯のクリーニングと医院のハシゴでした。
何と5日にコンビニに支払いに行ってから12日振りの外出です。徒歩で3625歩。
これも信用できませんね。 だって歩幅が狭いもの。
転ばずにやっとの思いで家に辿り着きました。
若い時は何処か行きたくてウズウズして居たのに、悔しいですね。 もっとも元気でもこのご時世では旅行なんて出来ませんけどね。 飲んで クッチャネの毎日で腹ボテになるのも仕方ないです。
皆様にアドバイス頂いた紙の写真を取込の件、ありがとうございました。
自分流で続けております。 スキャンをすれば簡単ですが、PCが無いので仕方ないです。写真屋さんに持っていってデジかル化も教えていただきましたが、お金をかけてやるほどの写真でもなし、死んだ後誰も見ないだろうしね。
iPadにスキャンする方法あるのかしら?
ネタがないのでバリ島続きます。
追記 今検索したら 「フォトスキャンbyGoogleフォト」と言うアプリがあり。
アイホンで紙の写真を撮るのは私がやっているのと同じ。四隅の丸に合わせてシャッターを切ってiPadにエアードロップする。 出来たよ〜〜!
タグ:猿 メガネ 金儲け?
教えて下さい [雑記]
シンガポール動物園。 ワタボウシタマリン。 小さいくせにインデアンの様な威厳のある顔をして直ぐそこまで近づいてくる。 絶滅危惧種の動物。
分厚いアルバムからiPadのアルバムに写真を移しています。 やれやれやっと3冊終わった、と思って既存の写真を消してしまったら アルバムも無くなっちゃった〜〜
アアア もう一度やり直しかと脱力、ちょっと調べてみましたら 最近削除した項目から30日以内なら復元できる事を知り無事できました。
ところで 私はパソコンを処分してiPadだけなので、 アルバムの写真をスキャンしてパソコンに取り込む事が出来ません。 プリンターは無線LAN仕様と従来のプリンターが有ります。
自分で考えた方法はアルバムの写真をiPoneで撮って綺麗に加工してiPadに移しています。が、まだまだ何冊もあるのでこのやり方で良いものか?そして溜まった写真を削除するとアルバムが消えてしまうのがさっぱり分かりません。
この不安なご時世、外出も何もかも自粛して無い知恵を絞り奮闘しています。
お陰で、腰痛が悪化していますので腰痛体操は欠かせません。
どなたか、撮った写真はどうすれば良いか、貯めておいて良いものか?
良い方法をご存知の方、お教え願えれば大変ありがたいのですが。
シンガポール 昔の写真 [旅行]
シンガポール ラッフルズ・ホテルにて。 名物ロングビールを飲む。
沢山のピーナッツ、殻は無造作に、やたらと床に捨てて良いのだ。 殻をバリバリと靴で踏みつける心地よい音。
背が低いので立ち上がって飲んだ。
シンガポール動物園ではチンパージと肩を組んで写真を撮ったりナイトサファリを楽しんだ。
世界の三大がっかりと言えば昔からブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオンと言われているがマーライオンも見た。 なんだあれは! セントーサ島も行ったっけ。
昨日の東京都知事選挙に行ったが、マスクしているだけで暑くて具合悪くなりそう。
なので、どっこへも出かけず従ってネタもなし。
思い出と共に昔の写真をアップするか?
どうしても見たかったので行ったけれど、今じゃ怖いよう。))8) [旅行]
武漢肺炎の終息はまだ見えませんね。
このクソ暑いのにマスクにメガネでは息苦しいでしょう。 昨年1ヶ月の入院で、退院してから1年になります。
そろそろ体調回復に向かっている頃に この武漢ウイルスの騒動が始まりました。
ですからでどこへも出かけない日が続いているのです。
新しい生活様式と言ってマスク着用手指の消毒、外食するのも大変。 最も私はこんな騒動前から潔癖症で外出時には真夏でも手袋をしていましたし、つり革やドアノブは勿論自宅のドアノブも触るのを躊躇するくらいですので、
帰宅したら直ぐ靴下も下着をのぞいた衣類は着替えます。
土足で上がる欧米の生活だったら耐えられません。キスやハグが当たり前の人達は文字通り濃厚接触ですよね。
ところで、こんな自粛生活で何年振りかで引っ張り出したアルバム、当時アイホンなんか無かったのでデジカメで撮った写真は分厚く重いアルバムです。アイホンにした以降はiPadのアルバムに収めています。
私の友人は終活でスーツケース二個分の写真を捨てたそうです。
是非行ってみたい、と思っていた中国。 それは西安の兵馬俑坑、万里の長城、死ぬまでに一度 と意を決して64歳の時に、1人参加のツアーに申し込みました。
それぞれ初めて会う人たち、でも一週間の間に気心が知れて楽しい旅となりました。
北京 西安 洛陽 蘇州 上海を列車で巡りました。思った通り兵馬俑坑は凄かったです。
こんな素晴らしい遺跡群を造った中国なのに、何故今中国は世界でも嫌われる国になってしまったのだろう?
私もその中の1人、ウイルスばかりではなくウイグル、チベット人などの臓器を取り出し売買していると言う現実。彼らウイグル、チベットの人たちは宗教上ハラール食なので中東の大金持ちなどに需要があるとの事。人権問題も甚だしい。香港問題、尖閣諸島付近に連続侵入する中国海警局の船などなど。 中国共産党がロクデナシ国家だから。
当時はよく知らないでウキウキ気分で観光に出掛けたわけ。
万里の長城 発達嶺。
河南洛陽龍門石窟。
西安 秦始皇帝陵 兵馬俑坑博物館 一体一体全部違い等身大で当時は彩色されていたとか。
正に圧巻という言葉を通り越している。私が行った時は未だ3号坑が未発掘だった。
写真の一部だけれど行っておいてよかった! 今健康で若くても現状の中国へは絶対行かないだろう。
もっとも、武漢ウイルスの為北京市場が閉鎖に追い込めれているし何を食べさせられるか分かったもんじゃないし。北京市民の七割の胃袋を満たしていた市場は毎日3万台の車、5万人の人が出入りするとか。
あー怖〜い!
未だに原因が分からない、武漢ウイルス研究所から出たことは確実なのにねっ!
タグ:中国 今じゃ行けない