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終戦記念日 [雑記]

とんぼ.jpg

今日は終戦記念日です。新聞トップに何も出ていません。年々戦争体験者が少なくなり、関心が薄れて行くように思います。

なぜ悲惨な戦争をしなければならなかったのか、その歴史を見ると当時の日本の指導者達が世界の情勢を見誤ったのは明らかでしょう。

トンボ.gif池袋から疎開して衣食住に不自由の中、ウチばかりではなくどこの親たちも子供を抱えて大変だった事でしょう。

疎開前は戦争が激しくなって居たのでしょう、隣組同士で万が一焼夷弾が落ちた場合に備えて消火のためのバケツリレーをしていた白い割烹着姿の母の記憶があります。

夜中の空襲警報のサイレンで飛び起き、近くの森に隣組で作った防空壕に避難しました。ウチの庭にも作った防空壕が有りましたが、もしあれに入って居たら蒸し焼きになったでしょう。縦穴でトタンの屋根でしたから。

まだ、強烈に脳裏に焼き付いて居るのは、空中戦でやられたアメリカの飛行機が錐もみ状態で落ちて行くところでした。

後で聞いた話だと、脱出した米兵は人々に下駄で殴られ、竹槍でつつかれ、大変だったそうです。そうですよね、当時は鬼畜米英で、赤い顔して、赤い髪の毛をしてるなんて言っていたんですから。昔の人は西欧人などを毛唐(けとう=卑しめた言い方)と言っていました。

64年前の今日、小学校1年になった夏休みで友人と山に遊びに行き帰宅すると、戦争が終わって負けた、と母が言いました。当時それを聞いてどう思ったかは全然記憶に有りません。

親兄弟を戦災で亡くした私と同じ年の方が居る中で、池袋の家を早めに離れて、安全な地に移った両親の判断が良かったのでしょう。

安全な疎開先と言っても小さなお寺の片隅を間借りして居たので、お葬式が有ると何時間も外に出なくてはならない始末。

お風呂もなくて農家のお風呂を使いに行っても、最後なのでうどんのゆで汁のように汚かった。

食べる物は水っぽいサツマイモやサツマイモの粉で作ったお団子。甘味料はサッカリンやズルチン。

そのうちにお米や衣類が配給制になって、母についてチケットを持って配給の列に並びました。

今は何でも物が溢れ、平和な世の中に思えます。私にはいつまでもこんな世の中が続くとは思われません。

私の孫達が私くらいの年齢まで果たして無事に生きることが出来るでしょうか?

地球環境の破壊、紛争、政治不信etc.

これらの日本を託す指導者を選ぶ総選挙どうなるんでしょうね。なんか、昔に比べると威厳も確固たる信念も持ち合わせない方が多すぎるのでは?選挙の前ばっかり良いことまくし立てて、本音は保身でしょ?!

まだまだ書き足りませんがこの辺で。ほんの少しの記憶ですが書いてみました。読んで頂き有り難う御座いました。

最後に千鳥ヶ淵の戦没者墓の碑に刻まれた天皇陛下のお歌。

国のため 命ささげし ひとびとの ことを思えば胸せまりくる

天皇陛下の戦争責任云々もあるでしょうが、このお歌は本当のお心と思いますけど。

私は出征する前夜の叔父(母の弟)を見送るため高知県で、また霞ヶ浦の航空隊の部隊にいた叔父(父の弟)に京都で抱っこされた記憶があります。二人とも帰りませんでした。

 


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コメント 15

ねこじゃらん

本当、そうですよね。
原爆の日といい、どんどん扱いが小さくなってきている。。
母から当時のことを聞いた事があります。
農道を歩いていると爆撃機が来た事、
自分たち子供は本能的にぱっと隠れた事、など。
祖母(父方)の話も聞きましたが、
もうちょっと大袈裟に押し付けがましくなります。(苦笑)
父にいたっては、変な自慢話にすりかわってしまって、
何がなんだかわかりません。どうしようもない。orz
by ねこじゃらん (2009-08-15 15:52) 

クロネコ

何度も書いてしまいます。
じいちゃんは戦争に行って帰ってきませんでした。
農業日誌をつけることだけが楽しみだった優しいじいさんは
お腹にいるあたしの母の顔を見ることなく、
体の弱いもう一人の娘を心配しながら死んでいきました。
こんな人が日本中に一杯いたんでしょうね…。
過去のこんな犠牲の上に成り立ってる今の日本って、
戦時中なくなった人の気持ちに報いるような国になってるでしょうか?
豊かなようで、貧しい気がして…なんだか申し訳ないです。
by クロネコ (2009-08-15 16:00) 

kontenten

終戦時一年生って事は、国民学校ですよね。
親父は尋常小学校を卒業し、高等科へ進み14歳で小僧
19歳で志願して海軍さんになり・・・特攻する予定より6ヶ月前
母は、国民学校卒業、女学校へ通っている時、終戦だったそうです。
女学校と行っても、毎日軍需産業・・・風船爆弾の風船になる和紙に
こんにゃく糊を塗っていたそうです。
 政治的に、偶々ロシアに勝ったから米英にも・・・と
2匹目のどぜうを・・・と思ったのかも知れませんが、仰る通り、読み違い
その読み違いのために、どれだけの国民が困難な事に・・・
 やはり、今の政治も同じですかね(><)
先を読めない政治家を日本の政治家って云うんですかね^^;アセアセ
by kontenten (2009-08-15 18:56) 

安奈

私はもちろん戦争を直接知りませんが、色々な本を読んで
戦争を誤解している人が多いことを知って、なんだかやりきれない気分です。
何故本当のことを教えないんでしょうね。
by 安奈 (2009-08-15 19:10) 

tama

そうですよね、TVニュースにおいても
終戦記念日のことよりもノリピーの逮捕のことが大きくとりあげられていました
私の母は日本から台湾へ行ったご夫婦の子、台湾生まれの台湾育ち
どうして台湾なのか、、、は父にも私にも教えてくれようとはしません
両親ともに祖父は早くに亡くなったそうですが
いずれの祖父も戦死ではなく病死だったそうです

自分の両親の戦争のことすらよくわからないのが私たちの世代。。。
戦争を知らなくて幸せなのでしょうが
「幸せボケ」していることも確かなような気がしてやみません

by tama (2009-08-15 21:27) 

甘党大王

私も戦争は全く分かりません(>_<)
ただ毎年、実家の父が開拓団で満洲に行っていた時の話をしてくれます。孫達は、フ~~~ン・・・と興味無さそうに耳を傾けていますが
子供を持った私は、その時の祖父や祖母の事を思うと胸が熱く成ります。
今年こそは、父の話をカセットに録音しようと思っていたのに(^^ゞ
夏休み中に
また話してもらおうかな(^_^;)父もそんなに若くは無いので。。。
by 甘党大王 (2009-08-15 22:40) 

フサヲ

つつましく、日々の暮らしに感謝し、大きな声は出さない(人を怒鳴りつけない)、そんな人になりたいと改めて思いました。
by フサヲ (2009-08-15 22:42) 

green_blue_sky

戦争の話は、祖父母などさまざま聴きました。
出征して帰らぬ人、けがをした人さまざまです・・・
平和が長続きますように。

多くの人に黙とう。
by green_blue_sky (2009-08-15 23:31) 

ゆりあ

かなり久しぶりの訪問になってしまってすみません(*- -)(*_ _)ペコリ
体調もご心配頂きありがとうございました^^
戦争の話、母から度々聞かされてました。
物はない、食べるものもない、大変な時代だったって・・・
だから、教育も満足に受けられず読み書きがちゃんとできない人もお友達には多かったって^^;
三浦の方に行くと、今でも防空壕跡の横穴が結構あったりして戦争の名残なんだなって感じます。
by ゆりあ (2009-08-16 04:10) 

デジコン

僕は、戦争を知らないけど父・母に聞かされると
言葉では言いあらわせない程の怖さだったとか
悲惨な思い出だったとか言いますね。
映画やドラマでしか知らないけど悲惨だったと思います。
天皇陛下のお言葉心からのお言葉だと思います。
前に自衛隊で皆の言葉と名前が入った国旗を
見たことがあります。それと千人針です。
心がつまされました。
by デジコン (2009-08-16 06:41) 

ChatBleu

主に母から戦争の話はよく聞いていました。
父親(私にとっては祖父)が出征して戦死し、4兄弟の長女として母親と一緒に家族を養っていたようです。食べ物は当然なく、体重を測っては重くなっているとみんなで喜んでいたとか。
ほんと、そんな悲惨なことはもう二度と起こらないようにと願います。
ただ、戦時中の教育を受けた母は、鬼畜米英なぞとは言いませんが、当時、占領下にあったアジアの国々を下に見る傾向があり、何度注意しても、「そうやって教えられたから無理」と言います;_;
by ChatBleu (2009-08-16 06:42) 

パトラ

母の実家に行く度、仏間の軍服姿の祖父を見ます。
母が2歳の時に亡くなったそうです。
田舎の地主であったから、食べることには困らなかったけど
街の方から、着物などをもって、コメに変えてくださいと
見えられたとか・・・
大阪大空襲の時は、山の向こうがまっ赤に見えたとか・・・
そんな話を聞きました。
人間は愚かなことをしますね、2度とおこってほしくないことです。
by パトラ (2009-08-16 17:25) 

ayafk

私は結婚式をサイパンで挙げました。
祖父母も出席してくれたのですが、海軍航空隊の教官をしていた祖父はこのサイパンの地で教え子が23人亡くなったと言う話を出席してくれた友人たちの前で披露してみんなの心を震わせました。
今もどこかで戦争をしている人々がいると思うとヒトってのは救いがたい愚かな生き物だなと思います。

by ayafk (2009-08-16 21:29) 

じむ員

戦争をしてはいけない、核を持ってはいけない、と、ワタシタチ日本人が叫ばなくてどうするのでしょう。
ほんとに、絶対核戦争などおこしてはいけないのに…。
今の日本の発展は、確かに前を向いてがむしゃらに進んできたからこそですが、戦争の悲惨さを伝えるべき役割というものを、おろそかにしてきたように思えます。
by じむ員 (2009-08-17 08:20) 

リフソロ

今朝の朝日朝刊の声の欄。
「お母ちゃん助けて!」
「お母ちゃん助けてくれーっ」と言いながら海に沈んでいった と。
by リフソロ (2009-10-19 09:03) 

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