無言館 [旅行]
上田電鉄別所線に乗ります。
二両編成で車両の真ん中に優先席があり、とっても綺麗でした。
びっくりしたのは、停車した時に開くドアーは進行方向1両目の端のドアなので、知らないとうっかり乗り過ごすことになります。勝手知ったる人たちは下車駅が近づくと一番前まで移動していました。
発車するとすぐ千曲川の鉄橋を渡り、私達は塩田町駅で下りました。
のどかな駅でここから「信州の鎌倉シャトルバス」に乗ります。
ハイキングコースもあるようですがとて歩けません。
町並みを走りどんどん新緑の山奥に入って目的地に着きました。
果たして坂道がどの程度なのか、不安を覚えましたが酸素ボンベを引いている高齢の男性も居たので、私もゆっくり歩きました。
緑深き中に遠慮深く佇む、戦没画学生慰霊美術館「無言館」です。
決して有名な絵はありません。戦時中数多くの若者が戦地に駆りだされつゆと消えました。その中には1分、いやあと5分でも絵を描き続けたいと思いながら絵筆を銃に替えなければならなかった無念さを思うと涙かこぼれます。
恋人の、妹の、そして母親の肖像。 画材が手に入らず紙くずを拾って描いたり、粗悪な小さな手帳に食べたいものが書き込まれていたり。
遺族が大切に保管していた使っていた画材、戦地からの手紙、絵や卒業証書,戦死報告書写真などが絵画と共に陳列されています。
「無言館」の名前の由来を館長の窪島誠一郎さんは自著の絵本の中で、 「だって戦死した画学生さんの絵の前に立つと 「悲しくて くやしくて つらくて 何も言えなくなっちゃうんだもの 黙るしか無いんだもの」
若い女性がすすり泣きながら食い入るように観ていました。
知覧の特攻記念館も行きましたが、同じようなもの有りそれが人の心に響くという点では変わりないと思います。
中央の立派な美術館と違い立地条件も悪い、開館10年でも知名度はまだ無い。私は開館当時うっすら知り、一度は行きたいと思っていたけれど、眼の先の事に追われ忘れていたのです。
入館するもチケット売り場が無い、出口で1000円の入館料を払う。
坂を下りて右に傷ついた画布のドームがある。
名前の通り天井はドーム型で戦没画学生のデッサン、秀作、絵画が埋め尽くされています。
受付の人にお聞きしたら天井に貼る作業は竹を使って大変だったとか、詳しいことはわかりませんが全部コピーではなくて本物だそうです。
敷地内には沢山の絵筆が嵌めこまれたモニュメントが有ります。その上部にペンキを叩きつけたような所が有ります。
2005年にこの「記憶のパレット」というモニュメントが不届き者のによって赤いペンキで汚されという事件がありました。
それを受けて無言館が多様な見方の中にある美術館であるということを忘れないために敢えてデザインされたそうです。
ポストは「開かないポスト」今の気持ちや、願い、など投函するとこのまま永久に保存されます。
私も、葉書を買って気持ちを書いてて投函しました。
ところでご存知でしたか?窪島誠一郎氏を。 戦没画学生の遺族を訪ねて一点一点集められこの無言館をおつくりになった方。 あの故水上勉氏のご子息です。
ひざ痛のため海外はもとより、もうどこへも出かけられないと思いつつ、でもなんとか動けるうちに、と思いたったら吉日、と行きはバス、帰りは北陸新幹線で目的を達成出来ました。 すっかり体力を使い果たし回復に時間がかかっています。
一度は足を運んで欲しい「無言館」でした。
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