ミズリー州 セントルイス [旅行]
昔の紙の写真を整理しています。
1995年6月21日25年前になりますね。わたし57歳で若かった。悪性リンパ腫で亡くなった妹と姪の3人の珍道中でミズリー州のセントルイスに行きました。
セントルイスは高校で日本語教師をしている姪がいるので思い切って行くことに決めたのです。
当日、函館空港で全日空のハイジャック事件があり、成田発857便13時55分が18時30分となってしまったのです。
ロスでTWA(トランスワールド)に乗り換えるのに(2001年にアメリカン航空に吸収)四苦八苦正でした。まさに冷や汗もの。
そんなに大きな空港ではないので、今の様に日本人は見当たらず、片言で必死でした。
やっと搭乗したら姪の席に自分の席だと言う男性が来て、座席チケットを見せて無事に一段落。
この時ばかりはもっとペラペラと喋れれば、と痛切に感じました。
言葉が出来きればビクつかずにすみますよね。
辿り着いたセントルイス・ランバート国際空港、旧称ランバート・セントルイス国際航空。 姪が迎えに来ていてホッとしました。
飛行機が大幅に遅れたため姪のホームステイ先には翌日行く事にしてホテルへ、ビールを買う為スーパーによると子供と間違われ、ここでまた四苦八苦。
昔、アメリカの高校生に同じ高校生なのに小学校5年生と言われました。
ホテルに着いて妹と飲んだバドワイザーの美味しかった事♩♩♬
姪の高校生の教え子と。
大人の生徒と。初めて来客がると家の中のツアーをするんですね。バスルーム、ベッドルームなど見せてくれます。 ウチなんかツーアーどころじゃありませんよ。二歩進めば行き止まり。
姪のホームステイ先のモニカのご実家にお呼ばれされてお母様のフランス料理フルコースをいいただきました。 室内に流れるアマリアロドリゲスのファドの名曲 私が知っていたのでそれを言うとすごく喜んでくださいました。 そのお母様も数年前に亡くなられたとか。
広い芝生にリスが遊びタイサンボクの大きな白い花が咲いていました。
写真の整理で記憶が鮮明に蘇ります。