若いから行けたサイパン [旅行]
ウイルス騒動の最中新聞の折り込み広告が全然入っていませんでした。 旅行案内の雑誌も毎月分厚いのが届いていたのに皆無でした。
Go to TravelがGo to traoubelなんて揶揄されて思わぬ失策でしたね。
こんなご時世にいくら割引だなんだと言われても行く気になりませんからね。それでも今日はいつもの某旅行会社から案内の雑誌が届きました。
パラパラとめくって資源ゴミ行きです。 印刷代、郵便代もかかるだろうなあ、と要らぬ心配をしましたが。
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1997年11月、急に娘夫婦に誘われてサイパンに行きました。
まだ足も腰も痛くなく、1週間の7日が足りないくらい毎日ソシアルダンスで踊り狂っていました。
当時は腰が痛いなんて自分がなるなんて思いもしなかったのです。 歳を取るという事はあちこち故障が出て来て当たり前のこと、でも先日新聞で見た「アイアンマン世界選手権」で史上最高齢85歳でギネス認定された千葉の男性の様な人もいます。 日本の男性の平均寿命が81・25なので凄い人ですよね。 普通なら寝たきりか死んでますよ。
現在なんでもなく若さを謳歌している人でも、こんな筈ではなかったと思う時が来るはず。私も元気そのものだったのです。 だから行けたのです。
万歳クリフ。 日本軍が全滅してたくさんの民間人や兵隊が飛び下りた所。
彼方此方に砲弾の痕があり、日本軍の大砲もありました。車で島を一周すると戦争の爪痕がたくさんあり涙が出ました。 あの灼熱の地で必死で戦った人達の冥福を祈らざるをえません。
朝早く海岸に出ると、日本が統治していたので、日本語が話せる人が話しかけて来ました。
娘夫婦の仕事の関係でレセプションパーティーがあり私も参加させてもらいました。
日本語の上手だった島のおさのサブランさんに紅ショウガは日本人に教えて貰ったと聞きました。
ホテル・ニッコーにて。JALホテルズ傘下、2008年閉業。
若い時はホイホイでかけられたのに、絶対行きたかったペトラの遺跡行きも夢と消えました。