行ってきました沖縄 [旅行]
当初目的地は梅雨入りが心配だったのが、出発する当日は台風の予報、まあ、どうにでもなれと羽田から10日の13時15分のJALで出発目的地は那覇。
亭主は4回目の沖縄でも私は初めて。
国際通りの居酒屋で泡盛をしこたま飲んだけけれど、沖縄料理がこんなに美味しいとは!
事前にネットでぐるナビで調べてみたけれど みな、ホシ3.5以上なのが頷けた。
万座毛、首里城を観て名護に移動。 名護のパイナップルパークへ。
TVの天気予報を見ると那覇の一部では停電も有り、避難している人も居ると言うのにホテルの中にいると荒れた天気も分らないので、これは翌日名護の沖縄美ら海水族館へは行けないかも。
一番の目的は美ら海水族館なのに、と気がもめた。台風の影響で午前中は閉館だが午後から開館だと言う。
イルカのショウを観てジーンとしてしまう。トレーナーの言う事をちゃんと聞いて芸をして、なんて健気なんだろう。
ショウをするイルカはオスか?メスか?それともオスメス一緒になってするのか?
私は知らなかったけれど、メスだけなんですってね。オスは喧嘩をするし、メスと一緒だと芸を覚えるのはそっちのけでメスを追いかけてどうにもならないらしいですよ。
本当は上から見られるのを楽しみにしていたけれど、丁度獲付けをしていると言うので見られなかった。
行ってみると、物凄い人で近くへ行けない状態。ジンベイちゃん垂直になってご飯を食べるそうです。
おこぼれ頂戴と、色々な魚が群がって居ました。
古宇利島(コオリ)に寄りました。
ここで食べた海ブドウの美味しかった事! いまは養殖で、天然ものは高級料亭で食べられるそうです。モズクも90%以上は沖縄で採れたものだそうです。
10日から3泊4日、やっぱり年には勝てませんね。この日程が限度なのかもしれません。疲れました!
帰ってから、洗濯したり、スーツケースを綺麗に拭いたり、そんな雑用大変なんですよ。
大体、私は何処へ行っても寝られないのでそれだけでも大変。
やっと今日あたりから体調が戻ったような。 どんなに狭くても、豪華なベッドじゃなくても自分の城が一番だ、と出かける度に思います。
数えたら外国は14か国行ったけれど体力、金力が有ったら キューバも行きたい、ポーランドも行きたい。
しかし、もう夢に終わりそうです 。
写真も沢山撮ったけれど、とても日付毎には億劫なのでほんの少しアップしました。
サボっていましたがお伊勢参り [旅行]
暑い、暑い毎日でしたが、急に気温が低くなり蝉の声も心なしか消え入りそう。
早くも9月となってしまいました。
すっかりヘッポコブログをサボって仕舞いましたが、何とか生き延びております。
先日小学校の同級生(男性)からブログ更新がないので、具合が悪いのではないかと電話を頂戴しました。
ZUMBAもやっておりますし、8月下旬にはお伊勢参りも行って参りましたが代わり映えのない生活をしております。
なんと言っても涼しくなって就寝しやすくなりました。
伊勢神宮は高校の修学旅行で伊勢志摩国立公園、なんて名目で60年前に行きましたね。
今は修学旅行と言えば海外ですが、我々の時はそんなものでしたよ。
やっぱり、日本人ですね。鳥居をくぐると空気が変わると言うか厳かな雰囲気を感じるのは私ばかりではないでしょう。
便利な世の中になりましたが、大昔もお伊勢参りは大盛況で何日もかかって追いはぎや盗賊に遭ったりして、命がけのお伊勢参りだったようですね。
鳥羽から登志島(とうしじま)へ船で渡り、素朴な宿に止まりました。
自分だけ入るお風呂なら大歓迎ですが、温泉と聞くだけで鳥肌が立つ私、部屋のお風呂ですませました。
温泉大好きな亭主は海が見える絶景の大浴場に夜も朝も入り、とっても満足したようです。 絶景だろうが、素晴らしい温泉だろうが私は床とか洗い場も気持ち悪くてお風呂は一層疲れてしまうのでパスです。
「お伊勢参り」と言えば笑っちゃった事を思い出します。 初めてのお勤めでスーパーのPOPの仕事をして居る時、新入りの事務員が課長への電話を取り「課長はお伊勢参りに行っております」って。
ナニナニ?「お伊勢参り」とな???
課長が各店舗を廻ることを「お店周り」と言うのを、ず~っと「お伊勢参り」と聞き違えていたんですね。
なんか、ブログなんかもう止めようかな、と思いながらサボっておりましたが気が向いたときに気楽に書こうかな、なんて心境です。 今までお付き合い頂いた方達、見放さないでそこは何とか宜しくお願い致します。
伊勢神宮、先ずは外宮(豊受大神宮・衣食住の神様)からお参りですね。人が途絶えたので慌てて撮りました。
鳥居の中での撮影は禁止です。正宮は正殿を中心とする社殿は内宮とほぼ同じですが鰹木は9本で千木は垂直に切られているそうです。
囲われた中で、昨年の式年遷宮で社殿を造り替えた後の作業をしているようでした。
二見浦で夫婦岩。てっぺんに鵜が風見鶏のようにじっとしていました。
うまくしたものでここへ来るにはお土産品を売る建物の中を通らなければ来られません。つい、何か買ってしまいますよね。
翌日は内宮(皇大神宮)へ向かいます。
五十鈴川。手水舎がなかった頃はこの五十鈴川で身を清めてからお参りをしたとか。
正宮の社殿の中心の正殿は五重の垣根に囲まれていて、写真も階段で。中は撮影禁止です。
神馬 空勇号(そらいさむごう)。静かに佇んでいて可哀想なくらい大人しくて可愛い。
おかげ横町へ寄りました。お土産屋さんが軒並み。伊勢うどんと手ごね寿司を食べましたが、伊勢参りに命がけで辿り着いた人たちが体も疲れ果てているので胃にも優しい食事と言うことで、コシのあるおうどんを食べ慣れている私たちには、柔らか過ぎてあんまり・・・?
丁度 神恩太鼓という勇壮な太鼓のイベントがあり、お腹に響く音に感激で涙が出ました。後ろの大太鼓は太い1本のバチを両手に持って打つのでもの凄い迫力でした。
写真を沢山撮ってきても整理がだんだん面倒臭くなって、困った物です。
そうそう、御神酒を買ってきたので、夕べ飲んだのでした。
モタモタしてスムースに書けずエライ時間がかかりました。ああ疲れた!!
南イタリア 9 [旅行]
帰路、ナポリからローマでの乗り換えの際に空港外に出て、多少の観光が出来るとは思いませんでしたが。
ローマからイスタンブールへの乗り換えの出発便が午後7時だったのでバスで約1時間の「ローマ歴史地区観光」巡りが出来ました。
現地ガイドの本田さんという男性の案内です。
随分前に娘夫婦に連れて行って貰った時は、個人旅行で贅沢にも大きなリムジンでローマ観光巡りでした。
コロッセオも修復していましたね。コロッセオとパラティーナの丘の間にあるコンスタンティヌスの凱旋門も修復中。 痛みも激しいのでしょう、古代ローマ時代の建物ですものね。
サンピエトロ大聖堂の周りには凄い人の群れでした。車窓から観た広場も入り口も人人、人でした。
バチカン市国はイタリアとは違う祭日があるそうで、日曜のアンジェラスや水曜の法王謁見に行けば、フランシスコ法王が見られるそうです。
アンジェラスの最後には、フランシスコ法王は集まった信者の方に、必ず親しみを込めて「皆さんよい日曜を、そしておいしい昼食をどうぞ。ではまた」とあいさつをし、広場には鐘が鳴り響くそうです。
今度のフランシスコ法王は質素で人柄が穏やかで、皆に親しまれ、今までの教会の不祥事を払拭しているようですね。
今までの法王謁見は収容人員1200人の謁見ホールで行っていたそうですが、フランシスコ法王はずっとサンピエトロ広場で行っているそうです。
折しも3月5日(水)私たちがバスで側を通った時の群衆は、法王謁見のために各国から集まってきた信者の人たちだったのです。
大型バスで乗り付ける信者の人たちも大勢いて、当日は混雑で大変だそうで、道理で以前行った時には見なかった光景でした。
広場に入るのにはセキュリティーチェックがあり、謁見のための無料チケットや椅子席も有るけど早く行かないとダメなようですよ。
スペイン広場上のオベリスク前で3時の集合と言うことで自由行動です。
もう人だらけでやっとコインを投げる事が出来ました。一時コインを投げることを禁止していましたよね。後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うとのことで、コイン1枚だと再びローマに来ることができる。 以前来たときに1枚だったので再び来られたのかしら?
スペイン広場も人だらけ! 現在はここでの飲食は禁止ですよね。
さて、美味しい物を食べるぞ! ガイドの本田さんもお勧めの海鮮レストランへ。トレビの泉の近くですがお店の名前を忘れました! でも、万が一ローマに行けたらもう一度行きたいお店です。
ロブスターやスカンピ、ムール貝の下にフィットチーネが隠れてましたよ。
ローマ発19時05分、イスタンブールまで所要時間約2時間半。イスタンブールを00時50分発。
座り続けて食べてばかり。フ~! でも食べられるのが不思議。
光が入っちゃったけれど、もうすぐ成田だ!!
今回参加者は全員成田でこんなイヤホーンを付けました。「耳太郎」と言いますがこれは遠くに居てもガイドの声が良く聞こえるんですね。
歩きながら観光しても、空港の中の雑踏の中でも。これは便利な物ですね。
カメラと耳太郎、それにショルダーバッグ、バッテンに首から提げて格好悪いも言って居られません。 でも肩が凝りました。
外国人も付けて観光している人たちも見かけました。
あと、日本人のマスク姿は奇異な目で見られますね。 日本人以外にマスクの人を見なかったです。添乗員も言っていましたが、他のツアーで皆マスクを付けて居た団体を、外国人が病気にでも冒されているのかと不安げに遠巻きに見ていたそうです。
少々ハードだったっけれど今回の旅行、終わって思い返してみると良かったですね。
本田さん曰く、今年のローマは雨ばかり多く、冬らしくなかったとか。私たちも上着を脱ぐくらい気温が高くタンクトップで歩いている人も居ました。
やっと、今回で終了しました。 有難うございました♪
南イタリア 8 [旅行]
ポンペイ遺跡観光、本当はナポリの国立考古博物館も観た方が良いのでしょうが、ツアーには含まれていませんでした。
遺跡観光はオプショナルで一人8000円。本来ならばじっくり見たら1日でも足りないとか。そこは慌ただしツアー旅行の悲しさです。
それでも参加人数が少なかったので、ゆったりと観光できました。
紀元前6世紀には都市国家のレベルまで発展してローマ帝国の支配下になり、アッピア街道よりローマへ物資を輸送する中継点、商業、港湾都市として繁栄したそうです。
ヴェスヴィオス山の爆発で1夜にして埋没してしまいましたが、発掘が続けられて以来、ローマ時代の機能と風俗が分かるようになりました。
今まで本や展示物など知っていたものの、現地で当時をしのぶ様々な物を目にして驚きと感心の連続でした。
役所、市場、浴場、水道、円形劇場、娼館、酒場、裕福な家などなど。
出土された美術品は考古学博物館に収められているのでしょうね。
舗装された道路の白いのはゴミではありません。夜は暗いので道が分かるように白い大理石で目印を。 中国などで見かける木々の幹に白いペンキを塗る原理と一緒でしょうね。
荷車はこれ以上は入れません。そこで荷物は今で言う○○急便に依頼したそうです。
酒場。 大理石で出来ています。こういうお店が何軒も有りましたよ。
壁にエロチック絵があり、好みを「あれ、これ」と言ったそうです。石のベッドで何か敷いたのでしょうが痛そう!
観光が終わって目の前でオレンジやレモンを絞ってくれたジュースの何と美味しかった事!
夜はホテルでこんな夕食でした。
さて、いよいよナポリからローマへ戻ります。
南イタリア 7 [旅行]
予定では、ナポリのベヴェレッロ港から高速船に乗りカプリ島へ渡る筈でした。
青の洞窟に行き、映像や写真で見た事のある、あの素晴らしい青色を見る予定でした。 が、が!!
バスで港に着き添乗員が切符の手配のため下車したものの、なかなか戻ってきません。
道中眼にした海は少々波が高く、雨も降ったり止んだりしていました。
バスの中で暫く待機。
案の定、何とか船が出港してカプリ島に渡ることが出来ても、帰りの船が欠航になる可能性があるとの事。
それに、青の洞窟に入れる可能性は薄いし、カプリ島から帰れなければ大変なので諦めることになりました。
この時期最初からあまり期待はして居ませんでしたが、思い返せば良い選択だっだかも知れません。
添乗員にしてみれば大勢の中高年を引き連れて、万が一カプリ島からその日のうちに帰れなかったら大変です。
青の洞窟観光の代わりにソレントへ連れて行って貰いましたよ。
何かイヴェントが有るようでした。
このレストランでお昼はシーフードフリッターで美味しかったです。
ソレントはナポリ民謡「帰れソレント」で有名ですね。
あまり古すぎて名前を知る人は少ないでしょうが、ナポリ出身のテノール歌手「エンリコ・カルーソー」がミラノで大成功をおさめ、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で歌ったそうです。
そんなことからアメリカからソレントへ観光に来る人が多かったと添乗員の説明でした。
古い人間ですのでカルーソー(カルーゾーとも言うらしい)を私は知っていましたが
、メトロポリタンで歌ったカルーソーのお陰でアメリカから挙って観光客が来たと言うことは初耳でした。
ソレントでは集合時間まで自由に散策できました。
後日、高速船代金5000円と青の洞窟入場料1000円、合計一人6000円が振り込みで返金されました。
この日の午後、ポンペイ遺跡観光をします。
南イタリア 6 [旅行]
アルベロベッロを観光の後、世界遺産マテーラ(約80キロ)へ行きます。
マテーラは長靴の形のイタリア地図のかかと部分に有ります。
石灰の岩山をくり抜いた洞窟住宅「サッシ」が残る町です。サッシとはイタリア語で「岩」「岸壁」を意味するそうです。
複数形のサッシは8世紀から13世紀頃にかけて、東方から来た修道僧が住み着いたと言われています。
労力と時間をかけて掘って作った洞窟住居は4000にも上ると言います。
先人達の厳しい生活を忍ばせる住居跡や洞窟教会も有ります。
そんな住居跡に止まれるホテルも有るようです。
日本語案内の解説が流れる中を狭い室内を見学。
ベッドの足元には赤ん坊を入れる箱があり、馬も一緒に住んで、寒い冬は馬の排泄物の湯気が暖房代わりだったとか。
台所は意外と綺麗でした。
この地は石灰分の多い土地でオリーブやブドウの栽培に向いているそうです。
この後、250キロを一路ナポリへ戻ります。
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夕食はナポリのレストランでピッツァマルゲリータを。
やっぱり最初はビールPERONIで乾杯!!
一人枚づつは大食いの私も無理。この前にパンが出てくるんですからね。
デザートのケーキはパスです。
次の朝はナポリのベヴェレッロ港へ向かいます。
カプリ島へ渡って青の洞窟を見られるでしょうか??? この時期0%~20%。
期待薄ですけどね。
南イタリア 5 [旅行]
おとぎ話に出てくるような、とんがり屋根のトゥルッリと呼ばれる建物が集まっているアルベロベッロに行きました。
平らな石を何層にも積み重ねて屋根を作り、一つの屋根の下に一つの部屋がある。
何でもこの様な形になったのには15世紀末にこの地を支配していたナポリから送り込まれたアクアヴィーバ伯爵はナポリ王に家の数によって税金を取り上げられていた。
その税金をごまかすために伯爵の命令で農民達は屋根を壊して「これは家ではない」と言って何度も解体と建設を繰り返したらしい。
農民達が考えついたのがトゥルッリだそうで、伯爵の圧政が終わり苦難の末に勝ち取った町がアルベロベッロのおとぎ話に出てくるような建物の町と言うことらしいです。
お店の屋上で屋根の建設の仕方を説明してくれました。
トゥルッリのお店の店員さんと。
バス車窓から。アーモンドの花が。
この後80キロ、一路マテーラへ向かいます。
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今日はこれから恩師の追悼礼拝があり、母校へ行ってきます。
南イタリア 4 [旅行]
シラクーサからタオルミーナへ120キロ。
タオルミーナと言えば映画「グラン ブルー」を思い起こしますね、そう、ジャン・レノ。
タオルミーナではギリシャ劇場を見学です。
標高206m。シラクーサのギリシャ劇場に次いで大きな古代劇場です。紀元前3世紀頃にギリシャ人によって建設されたそうです。
エトナ山が見えます。
現在でもコンサートやオペラが上演されるとのこと、この様な所で聴くオペラは格別でしょうね。
遠くにヨーロッパ最大の活火山。世界で最も活動的な火山、標高3326mのエトナ活火山が望め、そのパノラマ風景は絶景です。山頂の噴火のため標高は変化するそうです。
イタリアの活火山3つある中、二番目に高いヴェスヴィオス山の約3倍の高さがあるそうな。
エトナ山から飛んできた火山灰を拾って来ました。この様な砂利のような火山灰や石が降って来て当時は大惨事だったことでしょう。
その後メッシーナからフェリーでヴィラ・サン・ジョバンニへ(約1時間)向かいます。
フェリーからエトナ山の眺望。
南イタリア 3 [旅行]
パレルモからシラクーサへ250キロ。
ネアポリ考古学公園のギリシャ劇場、ディオニュシオスの耳、ドゥオモウ、アレクトゥーザの泉を観ます。
シラクーサは紀元前8世紀頃にギリシャの植民地として作られた都市とか。
紀元前3世紀に着工されたギリシャ劇場。15000人も収容できた。
「ディオニュシオスの耳」開口部の高さが36mもある。
この名前はかの有名な画家、カラヴァッジョが名付けたそうな。
中側から。
入り口でガイドが紙を力強く引き裂くと、その音が大きく響いて帰って来た。
シラククーサに暴政をしいたディオニュシオス1世が敵国の囚人を閉じこめるのに使用したそうで、エコーの仕組みで中の囚人達の話し声や企みが聞こえたとか。 中は奥が広く真っ暗。数人が歌を歌いましたが下手な歌もエコーが効いて綺麗に聞こえましたよ。
アレトゥーザの泉。
シラクーサの旧市街に有る淡水池。ニンフのアレトゥーザが川の神アルフェウスに追われて泉に姿を変えたと言う伝説があるそうで、パピルスが生い茂りアヒル等の水鳥が憩っていました。
池の向かい側は海です。
ホテルでお魚料理を頂きました。お魚なのでビールの後に白ワインです。
毎回ディナーはパスタ(オレキエッテ、ウニのパスタ等パスタが前菜でメインがアランチーニとかサルテインボッカなど。必ずデザートがケーキかアイスクリームなのでスイーツ苦手な私はやっと頂いたりパスでした。
次はタオルミーナへギリシャ劇場を観てメッシーなからフェリーでヴィラ・サン・ジョバンニへ行きます。
南イタリア 2 [旅行]
1泊分の荷物を持ってフェリーに乗ります。ティレニア号でシチリア島パレルモへ。
ティレニア号(検索画像)
船室は想像していたより清潔で、ユニットタイプでしたがシャワーも着いて居ました。
エンジンの振動に夜中に「地震だ!」と錯覚して目が覚めましたが疲れから意外とよく寝られました。
夜8時の出航だったので船体の姿を撮れなかったのが残念でしたが、11階建ての大きな船です。
ティレニア号レストラン(検索画像)
夕食は船内の大きなレストランで、好きな物を選んで頂きました。パレルモ着、朝6時半。
翌朝、下船の出口では大きなシェパードが警察官の隣で、怪しい奴をチェックしていました。 人相の悪い亭主、「麻薬で掴まらなくって良かったね」と冗談を。
モンレアーレ大聖堂をガイドの案内で見学
マッシモ劇場、カテドラル、ノルマン王宮、クアトロカンティを観て廻り活気ある市場も自由散策しました。
広場で何かのフェスティバルか、子供達が仮装をして集まっていました。
市場では色とりどりの果物。
新鮮なお魚。
アーティチョークが旬との事でした。ロマネスコも有りますね。
シチリア島と言えば「ゴッドファーザー」の映画マフィアを思い浮かべますね。マッシモ劇場は映画の中にも出てきた様な。
また、シチリアの人達は「おいら、そんじょそこらのイタリア人とは違うんだぜ!」と言う気質を持っているそうです。
次はパレルモからシラクーサへ約250キロ、3時間半です。
ホテルでの朝食は6時45分!! スーツケースの整理におおわらわですよ。
私のヘタな解説よりWiki. でどうぞm(_ _)m