名桜めぐり その2 [旅行]
身延山の後は武田神社です。
何年か前に水墨画の友人たちと忍野八海、馬籠、武田神社などを廻りました。
武田氏館跡の誰も行こうとしない土塁の方に行ってみました。
大手門跡
復元された大手石塁。
約40分の滞在で甘いもの好きな人、神社前の「かぶとや」さんで、信玄餅と信玄桃を購入して バスに乗りこみます。次は韮崎の田園の中にある「わに塚の一本桜」。
見事に咲いて居ませんでした! 初めて聞く名桜ですが有名らしい。
これは素晴らしい! 咲いてないので私は傍まで行きませんでしたが、側で見ると見事な幹だそうです。わに塚の桜は日本武尊の王子武田王のお墓とか、王仁族が住んでいた所と色々説がらしいです。また、古くからの言い伝えでは、日本武尊の王子の武田王がこの地域を治めた後、埋葬された場所なので「王仁塚」と呼ぶようになったともいわれているそうです。桜はエドヒガンサクラで樹齢は推定300年だそう。市の指定天然記念物だそうです。
右手の一本桜から左に目を移すと、南アルプスの甲斐駒が見える。
ウチの方から見える富士山の裏かしら? 車窓から見ながら実相寺の山高神代桜を観に行きます。
水仙が沢山咲いていました。 ここには“神代桜の宇宙桜が有ります。写真には撮りませんでしたが、平成2008年にに 神代桜の種118粒は2008年の11月にアメリカのNASAからスペースシャトルに乗って宇宙に旅立ちました。 宇宙ステーションに乗り、約8ヶ月間、無重力の中で過ごし、2009年に若田光一さんの手によって地球に戻りました。その種子を全て植えた結果、2粒が発芽しました。その内の1本が境内地にありました。宇宙帰りの神代桜はまだ固い蕾で寂しい姿でした。
屋台が出て賑わって居ましたが咲いて居ませんでした。 樹齢およそ2,000年といわれる山高神代桜は、大正時代に日本で初めての国指定天然記念物となりました。 私は2010年4月14日に行って居ます。
この桜も人間の力を借りなければ生きて行けないようになっているんですね。痛々しい程のつっかえ棒です。その生命力の凄さに涙が出そう。
この時もボランティアの人たちが何時倒れるかわからない桜なので、と言っていましたのでこの時が見納めだと思っていました。 桜は咲いて居なかったけれど、もう一度見ることが出来て良かった。日記を紐解くと私はこの日も風邪を引いていたようです。
次はこの辺にツアーに来ると必ず連れて行かれる勝沼のワイナリー。規模が小さい工場を見学しました。以前ナパのワイナリーに行きましたが、見学は宿泊しなければ十分にみられない、と言う事でした。それでも日本のワインも努力して色々出ているんですね。ホタテのワイン煮と濁りワインのシロを買いました。試飲、試食させてくれるので味を確かめて買えるので、良いですね。
次は600本の甚六桜
JR中央本線の線路沿いに咲き電車内からでも大いに楽しめるそうですが、下車して見上げる桜のトンネルは見事だって。しかし,咲いてないよ!
いつも車で来るか、バスツアーなのでこんな駅が有るなんて知りませんでした。
さてさて、最後は慈雲寺の糸桜を見に行きます。
推定樹齢300年超のイトザクラでがあり昭和46年に山梨県の天然記念物に指定されたんだって。
当時の塩山町に編入されるまでは東山梨郡大藤村と言って、一葉の両親がこの村の出身で作品中に塩山の地名が出てくるにも拘らず生涯に一度も塩山へ訪れる事が無かったそうな。
一葉が没後26年後の大正11年に一葉を偲んで碑が建立されたそうです。
石碑の裏側には佐藤春夫、田山花袋、坪内逍遥、森鴎外、与謝野鉄幹、与謝野晶子などの名前が刻まれています。
道路が空いていて2時間弱で八王子着。明るいうちに家に帰りつきました。
保険の1500円を加算してツアー代一人合計23400円也。キューバはこの約20倍です。
和懐石の料理もお昼のシラス弁当も野沢菜入りカツサンドも美味しかったですよ。高速代金、駐車場料金、ガソリン代など計算すると結構な金額になる筈。採算が合うからこのようなツアーが出来るのでしょう。
風邪がまだ抜けきりません。若いうちは直ぐ回復していたのに。
拙い写真や記事にお付き合い頂き有難う御座いました。
名桜めぐり [旅行]
疲れすぎたのか風邪を引いて6日目。熱は出ないものの花粉症と副鼻腔炎も重なってハナをかみすぎて痛い。
オフ会の後、3,4日と一泊で名桜めぐりのツアーに行ってきました。行った日記にしようと一日目の記事をやっと書き終えたのに保存する前にうっかり消してしまった!
それからやる気が起きなくなって放っておきました。
キューバへの「行きたい病」に罹っていたのに体力、金力が思うに任せず、悲しいかなキューバ行きの25/1の金額で桜めぐりのツアーに行って来たと言う訳です。
若ければ自分で計画を立て交通機関を使って動けるでしょうが、自由が効かない難点はあるものの、6~7か所の桜の名所を廻るのはツアーならでは。
最寄りの集合場所からバスで最初に向ったのは静岡県三嶋大社。
厳島神社、亀の甲羅干し。
樹齢1200年を超えると言う国の天然記念物の金木犀。その時期には馥郁とした香りが漂うと言う。
腰掛け石
源頼朝が源氏再興を祈るため、百日間の日参をした時に、休息した石。 左が源頼朝、右は北条政子が腰を掛けたと伝えられている。頼朝の方に腰掛けてみた。
次は身延山久遠寺に向かいます。樹齢約400年の桜はやっぱりちょっと早いかな?以前、満開の見事なしだれ桜に感動したけれど。
斜行エレベーターで身延山ロープウエー(往復1200円)乗り場まで行きます。久遠寺駅と奥ノ院駅を片道約7分です。
眼下にミツマタの群生が凄かったですよ。窓越しで良く撮れなくて残念。
降った雪が残って居ました。
日蓮大聖人お手植えの杉が階段両側にありました。
ここでは2時間の滞在時間でした。我々は奥の院でゆっくりしすぎて降りてくるのが遅すぎで大失敗!
残念ながら満開には少し早すぎたようです。先日のオフ会と同じで自然相手は予測がつきませんね。
もっと残念だったのは本堂の天井画、加山又造画伯の 黒龍を観なかった事です。先ずこれが先決だったのに!!
ロープウエーを待つ長蛇の時間が一層無駄だった。観たかったな!
仕方ないので後ろ髪引かれる思いで下山、下りた所でサービスでお水を頂きました。
石和なんてじいさんばあさんの温泉好きがよく行く所というイメージ。温泉と聞くだけで鳥肌物の私は例のごとく自室のお風呂に入りました。
泊まった所は「ホテルはないさわ」 ま、こんなもんじゃないですか。金額からして文句言えないわ。
ハナをかみながらやっと書き綴りました。この後は5か所も行ったんですよ。
つづく いつになるかな????
31年振りの香港 3 [旅行]
最後の日は先ず黄大仙に行きます。
道教、儒教、仏教が混在して観世音菩薩、孔子がご本尊だそうです。
長いお線香を持って若い人たちが熱心にお祈りをしていました。身体の不具合とか御利益があるそうです。
紫禁城で見た大きな一枚岩の雲龍模様の石刻より小ぶりな雲龍が有りました。
香港最大のパワーポットとかで周りには100件近い占いの店やおみくじのお店が有ります。
ビル群の谷間にあるのが何とも。12干支が並んでいます。
12の干支が格好よく立ち並んでいるので私の干支トラの前で。
市内DFS「Tギャラリア香港 カントン・ロード店」屋上から 維多利亞港(Victoria Harbour)の眺望。
夕食のペンネ、どうやったらこんなまずい物が作れるのか?! 事前にキャセイパシフィク空港の機内食を書いているブログ見たら、パスタは不味いから頼まないようにとありました。 他はチキン(私はチキンはダメ)だったので仕方なくそれにしたら案の定でしたよ。行かれる方、パスタは止めた方が良いですよ。丸ごと残しました。
★★★★★ ところで
建設をする時の足場は香港では竹です。昔行った時に見聞きしましたが落ちて死んだ人も居るとか。 今回も沢山の竹の足場を組んだ建設を見ました。
3年間竹の足場専門の学校があって、香港政府の試験に合格すると特殊技能の職人として認められるそうです。日給6000~7000香港ドル(9万6000~11万2000円)。月に50万円~100万円は稼げるそうですが、何と言っても危険。
今は1300人位の職人さんが居るようです。
先日、新国立競技場のデザインを手がけた隈研吾氏がいっていましたが、あの足場がヒントで木材を組んだデザインにしたそうです。
本当にあの足場には驚きでした。こんな便利な世の中で未だにやっているんですね。
2泊3日と短い旅行の為、昔行った素晴らしい夜景の見えるビクトリアピークやアバディーンには行けなかったけれど、結構充実した旅でした。
もし、元気で居られたら面白い所なのでもう一度行ってみたいですね。 行きたい所ばっかりなのに悲しいかな体力がね、何事も若いウチだと痛感してます。
31年振りの香港 2 [旅行]
2日目、お粥の朝食でした。
定番の揚げパンにレタスの炒め物、小籠包、焼きそばそれにお粥、お腹がイッパイになるかな?大丈夫でした。
レパルスベイ 。ウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズの「慕情」の舞台になった所。ご覧になった人はご存じでしょうがここもすっかり様変わりです。
周りはお金持ちの大邸宅、ジャッキー・チェンの別荘などが有ります。
近くの天后廟(ティンハウロウ)。
九龍サイドで最大規模の廟で航海や漁業の守護神を祀ってあります。
日本のビールの広告が正面に。終点まで行っても大人2,3ドル、子供1,2ドル。
冷暖房はなく、真夏は相当熱いでしょう。前から乗って後ろから降ります。2階に乗りましたが階段がセマ~!!手すりにすがりついてよじ上りました。動き出すと大きな音でまるでジェットコースターみたい。倒れるのじゃないかと思うほど揺れます。
料金が安く、便利なので皆気軽に利用するんでしょうね。活気にあふれる街並みを眺めるのも良いかもしれません。
ボードに上りと下りの時間が書いてあるのかも知れない。
香港の中心地セントラルと高級住宅街のあるミッドレベルを結ぶ全長800mの世界一長いエスカレーター。朝は下り、10時半からは上りになるそうで、合計20基のエレベーターが連なるそうです。途中でエレベーターで下に降りられるんでしょうね。
香港最古の道教のお寺。ハリウッドロードをしばらく歩いて行きます。主人は以前に来たことも有るとかで、近くの骨董屋さんを巡って居ました。 150年も前のお寺だそうで大きな渦巻き状のお線香を焚いて熱心にお祈りをしている人が居ましたが、私は疲れて、ゆっくり見なかった
お昼は「糖朝」でエビのワンタン麺とマンゴープリン。サンミゲルが美味しかった事!エビワンタンもプリップリのエビが詰まっていてすっごく美味しかった。でも忘れて写真を撮らずに食べてしまいました。
兎に角、お料理は一品4人前でしょ。 二人では食べきれません。 それにビール2本なんか飲んじゃえば尚更です。周りを見てもビールや他のアルコールを飲んで居ないし、お茶を飲みながら食べて居ます。
お店の人は良く食べる年寄りだと思ったでしょうね。遂に包子はテイクアウトでした。
DFSに行っても、ザ・ペニンシュラ香港アーケードに行っても、中国人が大挙して居ます。お店もお金を落としてくれるので入り口に新聞紙を敷いて座っていようと、人の迷惑も顧みずに大声で話していようと、注意出来ませんね。
マナーの悪さをガイドに注意したら逆に怒鳴り返されているのを見ましたね。香港人は中国人のマナーの悪さを嘆いているようです。 これはきっと何処の国に行っても顰蹙ものでしょう。
最後の日に続きます。
31年振りの香港 1 [旅行]
やっぱり年ですね。疲れが取れるのに3日程かかってしまいました。 香港と日本の時差は1時間、香港に着いたら時計の針を1時間戻します。このJet Lagが9時間10時間となるとくせ者ですが、今回はこれではなくて単なる高齢の体力不足のようでした。
遅い時間の帰宅で就寝が1時、旅行の後のスーツケースのクリーニングや洗濯物で翌日は終始して疲れ果てました。
ただ、撮るだけのデジカメ写真もそのままで、やっと何とか取り込めましたが・・・。
キャセイパシフィックに搭乗するのは初めてです。香港を拠点とする航空会社で香港のフラッグキャリアと言う事でイギリスのスカイトラックス社による航空会社の各付けで最高評価を得ているそうです。
5月15日 10:45分CX-0501便 定刻通り離陸しました。所要時間4時間55分。台湾の上空をかすめて香港に到着しました。
着陸前の機上から見ると埋め立て工事が進められています。
昔は啓徳空港と言われ、敷地が狭く汚いビル群すれすれで着陸するため高度な技術が要求されたため、パイロット泣かせと言われて居たんですね。
18年前に埋め立て地に素晴らしい香港国際空港に生まれ変わりました。まさに浦島太郎状態でしたよ。古い空港は啓徳クルーズターミナルなどになっているようで、まだ工事をしている所もありました。
ニョキニョキとまるで地面から生えてきたようにビル群がビッチリと建っています。
地震の無い香港ゆえか高さ制限が無いそうで 40階、50階が至る所でそれでもまだまだ足りないようで正に建設ラッシュです。 香港政府の団地も宝くじに当たるようなもので18歳に申し込んでも入れるのが40歳くらいになってだそうです。、
古い住宅は窓にガラスが無くて鉄格子だけで自分でガラスを入れられる人は入れる、入れられない人は雨風が吹き込んで来るんですって。 実際に見ても確かに格子だけの窓もありましたよ。それも見上げると首が痛くなるほのの高さです。 停電になったらどうするんだろう?
有名なネイザンロードも様変わりして道がどうなっているのかもわかりませんでした。 昔、眼鏡を買ったんですけどね。
香港では軽自動車ありませんし、自転車、バイクは殆ど見ませんでした。バイクでは繁華街には入れないそうです。バリでは洪水のようなバイクの群れ、中国は自転車の群れ。
土地が狭いので駐車場も高い、ガソリンも高い、高層ビルの一部も駐車場になっているとか。したがって、車を持って居るのはお金持ちだそうで、高級車が多いですね。
命が大切だから安くても中国の車は人気が無く、外車以外はタクシーもトヨタでしたね。
日本では家族全員が車を持って居るケースがありますが、香港では辛うじて10世帯に1台だそうです。
ここの地下道から地下鉄や、他の道に行けます。
信号以外のところで横断するのは大変。日常慣れている人は何でもないでしょうが、おのぼりさん状態だと恐いです。
路面電車、車、バス、タクシーが道に溢れているんですから。
長い動く歩道です。これを左に折れて地下鉄の駅に行きました。 でも切符の買い方が判らない。物凄い人が行き来しているので駅の係員を探すのもなかなか出来ませんでした。
やっと女性の係員を探して教えて貰いました。日本のように路線図が切符売り場の上に ありません。タッチパネルで行き先を指定しお金を入れるとブルーのスイカの様な固いチケットが出てきました。 が、今度は改札でそのチケットを入れる場所が分らない。バツが出てしまう。沢山の人がどんどん入って行き聞くことも出来ません。
再び先ほどの係員を探してやっと入ることが出来ました。いやぁ大汗かきました。
中はギュウギュウでした。大声で電話で話す人、子供を怒鳴るおばあちゃん、その孫が又言う事を聞かず何か物をグルグル振り回す。 地下鉄の大きな音と混ざって頭が痛くなりそう。
香港では車内で携帯電話をかけても良いんですね。皆話していましたよ。確かめてみなかったけれど多分OKなんでしょうね。
驚いたことは地下鉄の料金があまりに安かったことです。香港では65才以上は半額なんですって。係の人が私たちの様子を見てタッチパネルで65才以上で切符を購入してくれたんでしょうね。
10駅くらい乗って二人で150円くらいでした。そんなこと知らないのであまりに安いので「きっと、間違えたので降りる時に呼び止められるかも」と心配でしたがちゃんと正規の料金だった様です。
タクシーも日本だと4~5000円かかるはずが1600円足らずでした。 やたらと手を挙げて拾うと香港の道路事情はぐるりと遠回りになる場合があるというので、大きなホテルのコンシェルジュに呼んで貰いました。
これはお勧めですね。信用できるタクシーを利用することが出来ます。
トラムや地下鉄、タクシーなど交通機関が発達しているので、お金持ちでない限り車を持つ必要が無いようです。
もう一つビックリは歩きながらや、車内、建物の中での飲食タバコもダメ。 日本はペットボトルを持ち歩いて、喉が乾いたら飲みますよね。 煙草も勿論ですがエレベータでのたばこは5000香港ドル(約7万円)の罰金です。
そんわけで、自販機も日本のように見ませんでしたし、車内でも飲食している人は見かけませんでした。
地下鉄を下りた途中で、おかず屋さん。ここで夕食のおかずを買っている人たちを見ました。美味しそう!
私達も気軽に入れるところで先ずはチンタオビール。
見回しても、ビールなんか飲んで居ない。みんな鉄観音茶なんですね。鉄観音茶は夏でも熱いのを飲まなくちゃ効果が無いんですって。脂肪を洗い流してくれるので太っている人が居ないんですって。テーブルには必ず熱いお茶をすぐ持って来てくれますね。 ビールでお腹を冷やし、量が沢山あるので結局食べ切れませんでした。
まずは、やっと疲れが取れたのでここまで。
日本もそうですが中国からの観光客が8割だそうで、そのうるさいこと!!喧嘩をしているような大声でホテルでも早朝、深夜お構いなし! うるさくてウルサクテ、もううるさくて、それだけでも疲れました。
パスポート [旅行]
最近の若い人たちはお仕事を持って余暇には気軽に海外旅行をしていますが、私は若い時にお勤めをしたこともなく海外旅行なんて考えもしませんでした。
子供達が居なくなって、初めて海外旅行をしたのは香港&マカオでした。 定番の観光地を一通り廻りました。
それからアメリカはセントルイス&サンフランシスコ、サイパン、イタリアと続き、中国西安の兵馬俑坑,万里の長城など見たいというのから始まって、巨石遺跡が見たくなりお金もないのに10数カ国行ってきました。
なんと言ってももう一度行きたいところはエジプト。 ペルーは68才で行きました。何しろロスまで約10時間、ロスからリマまで8時間半と長時間のフライト。ナスカの地上絵、マチュピチュ、チチカカ湖と10日の旅だったけれど空気が薄くて大変だった。今ではとても行けません。 先日の鎌倉オフ会で歩いただけで疲れちゃったんですからね。
南イタリア10日間は2年前ですから75才を過ぎていましたね。 もう長期の旅行は出来ません。
そこで、近場の香港へ行くことにしました。
何せ31年ぶりの香港です。私だって当時50才前だったんですよ。
主人は古銭を趣味としているので、若い頃に1ヶ月に一度くらい行っていたそうですが。
引き出しに期限切れの何冊かのパスポートをしまってあるので見てみました。
右が当時の物、左が期限が2021年まで有る今の物。色はそんなに違わないけれど随分大きいですね。
カラーじゃないんですよね。名前を自分で書いてそれも筆記体です。
上は孫文記念館のチケットと搭乗券、捨てられずにパスポートに挟んでありました。
とうとう一度もビジネスクラスやファーストクラスには乗れませんでした。 なけなしのお金でやっとの旅行でしたからね。
座席指定の半券の裏にはこんな広告が。 ビデオテープですよ(笑)
1997年7月1日にイギリスから返還された香港、当時行ったタイガーバームガーデンなんか閉鎖されているようです。 シンガポールのタイガーバームガーデンは随分グロテスクなようですが。
当時は道路を渡る時は命がけでしたよ。バックミラーなんか無い車が歩行者なんか無視して走っていたんですからね。
きっと浦島太郎状態だと思います。たった5時間足らずでバリ島より近いです。
明日、2泊3日と束の間ですが行ってきます。
貧乏バス旅行(2) [旅行]
翌日は大阪らしい町並み、と言う事で新世界。
大阪定番スポットの通天閣です。 エレベーターの天井にはかの有名なビリケン様が写しだされます。
明治45年パリの凱旋門とエッフェlル塔を模して初代通天閣が作られたそうです。
エントランス吹き抜けの復刻天井画。初代通天閣大天井に広告を出していた「株式会社クラブコスメチック」が寄贈したそうです。 クラブ化粧品って昔聞いたことあるけれど、今もあるのかな?
B1からF5まであり、5階のビリケン神殿に行ってみました。秀吉の黄金の茶室に負けじと黄金色で装飾している、と言ううたい文句だがハゲッチョロケ。
1908年、アメリカの女性作家が夢で見た神様をモデルにして制作し、幸運のマスコットとして当時世界的に大流行したそう。 遠く新世界にまで伝わって、今では三代目のビリケンさんですって。
足を撫でると幸運に恵まれると言うので、さすりまくってきましたけど???
トレビの泉よろしく「ビリケン泉」だって。笑っちゃいましたよ。結構コインを投げ入れる人が居るんですね。
街に出れば、お店の入り口には様々なビリケンさんが鎮座しています。
このビリケンさんはスワロフスキーで出来ています。おでこに天然サファイア9キャラ以上、耳もサファイア8キャラ、両手足爪はピンクスワロフスキー。 制作に5か月要した世界で唯一のスワロビリケン様。
「二度つけ禁止」の看板があちらこちら出ていて、名物 串カツのお店が一杯。
お昼は串カツでした。勿論二度つけはしませんでしたよ。
最後は太陽の塔のある大阪万博公園。亭主は当時来たと言って居ましたが、凄い人であの当時みんな何処へ泊ったんだろう?なんて言って居ました。 私はニュースで人混みを見て尻込みしていましたが。
乗ってしまえば楽ちんなバスのツアー旅行、勝手気ままは効かないけれどたまには良いのでは?
最近バスの事故が多いですよね。災難に合わないのは運が良いだけ。
しかし、帰りは多少渋滞に巻き込まれたけれど、無事に帰宅出来ました。 帰りは8時間、私はダウンコートを入れる不燃折織のバッグにコートを詰め込んで腰に当てて居たので、腰痛にならずに済みました。
師走に病院2時間待ちで風邪を移され、やっと治ったと思ったら今度は膀胱炎で医者通い。ず~っと禁酒状態でしたが新年からは体調も飲みも復活しました。
昨日は早速、アロマセルフコンディショニングの教室に行って、滞っていた疲労物質を流して来ました。
来週は医者通いでちょいと忙しくなります。 整形外科(骨量を減らないようにするクスリを貰いに)耳鼻科(嗅覚障害、香水とか良い匂いは分かるのよね) 内科(コレステロール値を下げる薬を貰いに)。
あと、私の友人は白内障の手術を殆どしているけれど、私は未だ自覚症状がない。でも一応調べてもらおうと思って。母は88歳で亡くなる少し前にしたのよね。
インフルエンザが又流行出したようです。 お正月の暖かさに騙された体、冬将軍に襲われて体調を崩しませんように。
午後から初エアロとストレッチ教室デス。
貧乏バス旅行 (1) [旅行]
3,4日一泊で大阪へ。
気温が高くてコートが邪魔でした。
コッテコテの大阪名所、亭主は詳しいし大好きなので大喜びでした。
お正月早々にも拘わらず、バスは満席でした。
新幹線、飛行機ならひとっ飛びなのに「この時間だったらゆうにバリについているわね」と言いながら富士山を見て車内でお弁当を食べて約7時間で大阪到着。
ウチからも晴天だと西に見える富士山だけれど、この時期の富士山としては雪が無い。
中の展示物はもっと工夫しなくちゃダメだと言う亭主。確かに良くないなぁ。
エレベータ待ちに20分。やたらと例の外国人が多い。
以前来た時は、ラジカセの演歌に合わせてブルーの着物姿のオヤジが踊りまくっていたっけ。そんなこと私が言ってもすっかり忘れていた亭主。
フグづくしの夕食を ビールと菊正宗で食す。 フグ鍋にフグのから揚げもあってツアーにしてはまあまあの料理で良いんじゃない。
演歌は好かないけど、「宗右衛門町ブルース」とか「法善寺横丁」とかありましたよね。(古い?)
お馴染み御堂筋辺りの散策は余りの人の多さに参った!日本人はまばらで殆どが大きな声で叫ぶように話す中○○人、○○国人。 たばこの吸い殻の投げ捨て、薬屋さんや衣料品店の呼び込みで溢れている日本人じゃない人、人。
それにしても皆安い。買わなかったけれど毛糸の帽子なんか5百円! 日本人なんか相手にしないお店もあると、耳にしたことあるけれど、いつまで続くか,ってところですね。
ツアーに参加していたオジサンが、年末に忍野八海に行ったんですって。外人だらけで(黄色の)日本人はチョボチョボだったそうですよ。
何処へ行っても寝られない私、特にその夜も亭主のイビキにやられました。何処でも寝られる人ってホント羨ましい!!
つづく
アンデス周遊9日間 食べた物 ぽん太はお留守番でした [旅行]
食べ物をブログにするバカです!
今はほとんど食べ物はしていませんが、以前のブログですよ。
高山病で食べられない時も有ったが、写真を見るとま~ぁ食べたこと!兎に角美味しいのよ!ペルーの物ってホントに美味しかった。食いしん坊は意地汚く 鳥以外は 全部お腹に入れてきましたw。 最後の日には気を利かせてくれたのか日本食レストランでにぎり寿司の夕食だったが、不味かった。 もう一回セビッチェが食べたかった。 もしペルーに行かれる方、食べ物は期待して良いですよ。私は満足でしたジャンジャン♪♪♪ →ピコっと押してねm(_ _)m
7月中ごろの事 [旅行]
腰痛が起きる前に、南伊豆の弓ヶ浜に一泊の予約をして居ましたが、取りやめて「スイートホテルに泊まるミステリーツアー」なるものに参加しました。
腰痛ベルト、とステッキをスーツケースに入れての出発でしたが、バスも徒歩も無事でした。
一時、ちょっと小雨に降られましたが、泊まったホテルはリビング有り、和室あり、小さなキッチン、ベッドルーム有りの二人には広すぎる部屋で、数泊こんな部屋に泊る旅行がしたいわね、と、たった一泊が名残惜しホテルでした。
ミステリーツアーの名の通り行く先は全然分かりません。 もう少し若かった時は国内のツアーより海外が良かったのですが寄る年波で専ら国内ツアーです。 面倒がなくて気軽に行けるのが良いですね。
埼玉、栃木、群馬を股にかけて。
栃木県原田農園。 リンゴ畑を横に見てブルーベリー狩り。そうそう食べられるものでは有りませんね。ここも以前に来たことが有る。
妙義神社(これは坂が有るので私は下の売店で待機)。
めがね橋 旧信越本線の碓井第三アーチ 明治25年12月竣工とある。上を歩くことが出来るけれど、私は登らず。
あと、群馬県の吹き割の滝に行きましたが、以前に行ったことが有り、歩くので売店で買い物をして待機。ここの売店の側で買ったハチク(淡竹/はちく)筍が煮たら美味しかったこと!
ホテル軽井沢1130に泊まりました。 標高1130mにあるのでこの名がついているそうです。
ところでこの旅行のバスの運転手さんがとってもユーモアがあり、かつ優良運転で最初のあいさつで小さな鳥のぬいぐるみを片手に「この鳥がどんどん大きくなります」 と。
バスを下りて皆が乗る少し大きくなっています。
帰る頃には箱の中にひしめいていました。
ライチョウのぬいぐるみ、どこに隠しているんだろう?と皆不思議がって笑い声が絶えませんでした。
運転手さんの話ですとオスのライチョウだけ繁殖期になると赤い肉冠と言うのが出来て、繁殖期が過ぎると消えるんですって。
腰痛を抱えての一泊でしたが、結構楽しめましたよ。