小学校のクラスメートと [雑記]
戦時中、池袋から東京の西の果てにに疎開した小学校の同級生6人と会食しました。
小学校のクラス会を開催する幹事が、高齢のため出来なくなったために「クラス会解散会」の名目で誘われて出席したのでした。
〇〇君 〇〇子ちゃんと大昔の呼び名で呼び合って、童心に返ったひと時でした。
皆、 多かれ少なかれ身体的な故障があっても元気でお酒を酌み交わしました。
既に岡本くんを始め数人の人が亡くなり黙祷の際も身につまされる思いでした。
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小学校第三学年10歳。奉安殿跡で右前列二人目が私。
奉安殿とは戦前の日本で天皇皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物で戦後解体されました。 校門を入る時は奉安殿に敬礼し、講堂にも天皇皇后の御真影が有りました。 入学の際は立派な奉安殿が有ったことが記憶にあります。
戦争直後で物資が不足で皆貧しい身なりをしていますね。履物はモンペに下駄だった様な。
昭和24年3月18日(金)。4年生、前列右から4番目が私。
担任の松本先生が学級歌を作って、仲良し皆で良く歌ったっけ。
当時は古タイヤを裏に張った草履やわらじを上履きにしていました。
食べる物が無くても身なりが酷くてもこの笑顔!
今後は有志で集まれる人で出来るだけ会いましょう、と約束して別れました。
この年になるといつどうなるか、会える時に会っておかなければ、でかけられる時に出掛けなければと、痛切に感じた日でした。
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